沿線の宅地化が進み、線路脇のほとんどに住宅が建ち並ぶようになった小田急線。
昔は農地となっている場所が多くあり、今よりものんびりとした雰囲気の区間が点在していました。

そのような場所は色々とありましたが、その中の一つが柿生や鶴川付近で、住宅に混ざって田んぼが沢山ありました。

昔の柿生や鶴川付近はどのような風景だったのか

昔になればなるほど、当然のように農地が増えていきますが、1980年頃の時点でも柿生や鶴川付近には田んぼがかなり残っていました。
現在の状況からは想像ができないぐらい、のんびりとした風景だったのです。

まだ周辺に何もない新百合ヶ丘を出発し、下り勾配が終わる付近から、柿生までは線路の両脇にほとんど建物がありませんでした。
田んぼや畑といった農地だと思われますが、そもそも緑が多く残っています。

柿生を出てもそのような風景はあまり変わらず、鶴川が近付くまで農地と思われる土地ばかりが目立っていました。
鶴川が近付くとマンションが建っており、田んぼの間を走り抜けるハイアングルの写真は、このマンションから撮られていたのでしょう。

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今では両脇に建物が林立するようになり、昔のような雰囲気はなくなってしまいました。
小田急が全線に渡って混むようになったことも、このような変化を見れば納得できますね。

いつ頃柿生や鶴川付近の田んぼは見られなくなったのか

正確な時期を特定することは困難ですが、いつ頃から農地がなくなっていったのかを調べてみました。
少しずつ減っていったというのが正しいため、変化の過程をまとめていきましょう。

1988年の時点では、全体的な雰囲気に大きな変化はありません。
柿生を出てすぐの付近だけ、線路の両脇が建物に変わっている程度です。
この状況は1991年の時点でも同様ですが、全体的には少しずつ建物が増えてきています。

1993年になると、柿生の手前付近に大きな変化があり、海側が建物で埋まり始めます。
この時点では山側はほぼそのままのようです。

1996年にはついに鶴川の手前付近に変化が見られ、海側から田んぼが消滅し、山側に一部が残るのみとなりました。
この頃が田んぼがなくなったと感じる時期といえそうです。

僅かに残っていた場所もその後少しずつ数を減らしていますが、一部に農地が今も残っており、昔の風景を今に伝えています。
鶴川の海側にはまとまった農地も残されていますが、土地区画整理事業が動き始めていることから、この風景も将来的には見られなくなりそうです。

おわりに

今は住宅が建ち並ぶ柿生や鶴川付近は、のんびりとした風景が広がる地域でした。
風景が大きく変わってから20年以上が経過し、当時を思い出すのは徐々に難しくなってきているかもしれませんね。