吊り掛け駆動で登場しながらも、後に2400形の主電動機を流用して高性能化された小田急4000形。
高性能化は冷房化や編成の組み替えも伴う大規模なもので、改造後は性能や使われ方が全く異なる車両となりました。

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改造が始まる段階で、4000形は登場から20年近くが経過していましたが、なぜここまでの大規模な改造をしてまで残されたのでしょうか。

1985年から開始された4000形の大改造

古い車両の機器を流用して製造された4000形は、近代的な車体でありながら、吊り掛け駆動による古めかしい音を奏でることが最大の特徴でした。
車体は2600形や5000形と同等の大きなものでしたが、走行性能は大きく異なり、加速度や最高速度が他形式と比較して劣っていました。

性能が異なるため、一時期1800形と行われた以外に他形式との併結も行われず、4000形だけで編成を組んでいたほか、1編成も3両や5両となっていたことから、運用が完全に分けられていました。
しかし、古い車両の廃車が進められ、高性能車が大多数となってくると、走行性能が劣っていることが問題となります。
そこで、同時期に廃車となる2400形の主電動機を流用して高性能化を行い、同時に冷房化を行うことで、車両の性能やサービス水準を他の形式に合わせることとなりました。

改造は編成の組み替えを伴い、先頭車の中間車化も行う大規模なもので、全車両を東急車輛製造に輸送して行われました。
登場から20年が経過した車両といえば、現在だと3000形がそれにあたりますが、台車や主電動機の交換、編成の大規模な組み替えや中間車化、冷房化といった大改造が3000形に対して行われたと考えると、なかなか思いきったことをしたといえそうです。

4000形はなぜ高性能化までして残されたのか

4000形に主電動機を譲ることになった2400形は、登場から26年で廃車が開始されました。
それを踏まえれば、あと少しそのままの状態で使用し、4000形を2600形より先に廃車としてもおかしくはありません。
しかし、実際には大改造が行われて残され、その後も20年程度使われることとなるのです。

これには、当時の小田急が輸送力の増強を行いつつ、2400形以前の小さな車両を大量に置き換える必要があったことが関係していると考えられます。
2200形以降のそこまで古くない車両を、ハイペースで置き換える必要に迫られる中、そのまま続いて4000形も置き換えるというのは、現実的に厳しかったのかもしれません。

そのような背景に加え、4000形を廃車とした場合、さすがにもったいないと思うような事情もありました。
それが1974年から増備された5両化のための中間車で、製造から10年程度しか経過しておらず、9000形と同世代だったのです。
加えて、古い車両から流用した機器の多くは交換されており、そのまま廃車とするには惜しい状態でした。

そこに2400形の主電動機が個数も含めて問題なく活用できることや、収容力は申し分ない車両であったことが幸いし、大改造をしてでも残すという結果になったのだと思います。
結果として4000形は40年近くも走り続けることとなり、機器を流用して登場した車両としては、かなり長寿の部類となりました。

おわりに

40年近い活躍期間となった4000形は、旧性能と高性能の時代を半分程度の割合で走りました。
機器流用車ながら長生きをすることができたのは、運の良さもあったのかもしれませんね。