快速急行と準急の間に位置付けられ、現在は主に中距離の輸送を担うようになった小田急の急行。
古くからある種別で、以前は特急の次に位置する優等列車でしたが、徐々に停車駅が増えたこともあり、より上位の快速急行が登場することとなりました。

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今回の記事では、急行が停車する各駅がいつから停車駅となったのかをまとめてみたいと思います。

各駅が急行停車駅になった時期

小田急の急行は、小田原線の開業から約半年後、全線が複線となった1927年10月15日に登場しました。
開業当時の小田急には、各駅停車と直通という二つの種別があり、それに急行が加わったということになります。

現在は快速急行を補完する立場となった急行ですが、停車駅は時代によって変化しており、基本的には増加傾向が続いています。
急行の停車駅が増加したことで、結果として上位種別の快速急行が登場した面もあるといえます。

現在急行が停車する各駅が、停車駅となった年は以下のとおりです。

【小田原線】
新宿:1927年
代々木上原:1978年
下北沢:1949年
経堂:1927年(1934年から2004年は通過・2004年から一部の列車のみが停車・2022年から全列車が停車予定)
成城学園前:1971年
登戸:1949年(1952年から1970年は通過)
向ヶ丘遊園:1927年(1949年から1952年は通過)
新百合ヶ丘:1974年
町田:1927年
相模大野:1938年(1949年から1951年は通過)
海老名:1972年
本厚木:1927年
愛甲石田:1972年
伊勢原:1927年
鶴巻温泉:1937年
東海大学前:1972年
秦野:1927年
渋沢:1949年
新松田:1927年
開成:1985年(当初は赤丸急行のみが停車・2018年から2019年は通過・2019年から全列車が停車)
小田原:1927年

【江ノ島線】
中央林間:1990年
南林間:1965年
大和:1965年
長後:1961年
湘南台:2000年
藤沢:1959年
片瀬江ノ島:1959年

【多摩線】
栗平:2003年
小田急永山:2000年
小田急多摩センター:2000年
唐木田:2000年

このように、江ノ島線や多摩線は一度停車駅になってからは変化がないものの、小田原線はやや複雑な経緯を辿っている駅があります。
経堂は早々に停車駅から外され、その後一部の列車が停車するようになり、2022年3月12日のダイヤ変更でいよいよ全列車の停車駅に返り咲きます。

このような複雑な経緯を辿った一因には、1944年11月から1949年10月まで急行が運転されていなかったことが関係しています。
太平洋戦争の戦況が悪化したことで運転が休止されたためですが、再開後に停車駅が変化することとなりました。

急行が停車しなくなった駅

急行の長い歴史の中で、停車自体がなくなった駅も僅かですが存在します。

戦前では、1937年から相武台前、1938年から小田急相模原が停車駅となっていましたが、運転休止後の再開時に停車駅から外されました。
当時は軍の施設があったことから、停車駅とされたのでしょう。

戦後は停車駅ではなくなった相武台前でしたが、1960年から一部の列車のみが停車するようになりました。
しかし、1999年には再び全ての列車が通過するようになっています。

同様に一部の列車が停車していたのは、栢山、富水、蛍田、足柄の4駅で、1983年から赤丸急行のみが停車しています。
2018年からは、途中駅で種別を変更するようになったため、赤丸急行自体が消滅して停車駅ではなくなりました。
現在は急行停車駅となっている開成も同様ですが、こちらは2019年から正式に停車駅となりました。

江ノ島線では1964年から本鵠沼と鵠沼海岸が停車駅となっていましたが、1998年に登場した10両の急行はホームの長さの関係で通過となり、2018年に6両の急行がなくなったことで通過駅となっています。

おわりに

意外と奥深い急行の停車駅ですが、今後さらに増えることはあるのでしょうか。
今回の記事では、分かりやすいように現在の駅名に統一していますので、停車するようになった当時とは駅名が異なる場合がございます。