急曲線上に位置し、小田急線内では珍しい島式ホームとなっている代々木八幡駅。
10両編成の停車を可能とするために、相対式ホームから島式ホームに改良するという珍しい経緯を辿っていますが、これは元々上下線が離れていたことを上手く利用して実現しています。
しかし、代々木八幡の特徴でもある上下線が離れている状態は、開業時からのものではありませんでした。
車両が通る際は車輪が軋むほどの急カーブですが、そのような場所に駅が設置されているのです。
代々木八幡は小田原線の開業時からある歴史の長い駅でもあり、線路の外側に相対式のホームが配置される小田急ではよく見られる形態でした。
急曲線上に駅があることだけではなく、上下線が離れていることも特徴の一つで、長い跨線橋が二つのホームを結んでいました。
優等列車が停車しないことから、ホームは8両分までの長さしかありませんでしたが、各駅停車の10両化を進めるにあたって、大規模な改良工事が行われることとなりました。
工事の内容は、相対式ホームを島式化する大規模なもので、同時に橋上駅舎化も行われています。
2015年から工事が始まり、2019年3月16日のダイヤ改正に合わせて新しい駅舎やホームの使用を開始、10両の列車が停車するようになりました。
使用を開始した直後はまだ一部が工事中で、追って山手通りへと繋がる連絡通路等が整備されています。
改良後はホームドアが設けられたほか、車両とホームのすき間を解消する可動ステップも設置されており、安全性が格段に向上することとなりました。
元々の相対式ホームを延長した場合には、道路と支障するといった問題がありましたが、上下線の間にあるスペースを上手く利用することで、代々木八幡1号踏切を山手通りの高架下へと移設する必要は生じたものの、比較的スムーズにホームの延長を実現することができたのです。
さて、この上下線が離れているという特徴ですが、開業時からのものではありません。
開業時は通常の複線区間と同様に上下線は隣接しており、急カーブの途中にあるというだけの状態でした。
なぜ上下線が離れることになったのかというと、代々木上原を出発した東京メトロの千代田線が、小田急の間を抜けて地下に入っていくためで、その分上下線が離れることとなりました。
千代田線の建設工事に合わせて上下線が離れたのは1975年のことで、1978年の相互直通運転開始に向けてその後も工事が進められていきました。
その時にできた上下線の間隔が、後の10両化に使われることになるとは、偶然とはいえとても幸運なことであったといえそうですね。
現在の状態が理想的といえそうですから、ようやくこの姿で落ち着くこととなりそうです。
10両編成の停車を可能とするために、相対式ホームから島式ホームに改良するという珍しい経緯を辿っていますが、これは元々上下線が離れていたことを上手く利用して実現しています。
しかし、代々木八幡の特徴でもある上下線が離れている状態は、開業時からのものではありませんでした。
改良によって島式ホーム化された代々木八幡
新宿を出て3番目の駅となる代々木八幡は、急カーブ上に位置することが最大の特徴となっています。車両が通る際は車輪が軋むほどの急カーブですが、そのような場所に駅が設置されているのです。
代々木八幡は小田原線の開業時からある歴史の長い駅でもあり、線路の外側に相対式のホームが配置される小田急ではよく見られる形態でした。
急曲線上に駅があることだけではなく、上下線が離れていることも特徴の一つで、長い跨線橋が二つのホームを結んでいました。
優等列車が停車しないことから、ホームは8両分までの長さしかありませんでしたが、各駅停車の10両化を進めるにあたって、大規模な改良工事が行われることとなりました。
工事の内容は、相対式ホームを島式化する大規模なもので、同時に橋上駅舎化も行われています。
2015年から工事が始まり、2019年3月16日のダイヤ改正に合わせて新しい駅舎やホームの使用を開始、10両の列車が停車するようになりました。
使用を開始した直後はまだ一部が工事中で、追って山手通りへと繋がる連絡通路等が整備されています。
改良後はホームドアが設けられたほか、車両とホームのすき間を解消する可動ステップも設置されており、安全性が格段に向上することとなりました。
上下線が離れたのはいつからなのか
改良によって、小田急では珍しい島式ホームとなった代々木八幡ですが、それを可能としたのが上下線が離れているという特徴でした。元々の相対式ホームを延長した場合には、道路と支障するといった問題がありましたが、上下線の間にあるスペースを上手く利用することで、代々木八幡1号踏切を山手通りの高架下へと移設する必要は生じたものの、比較的スムーズにホームの延長を実現することができたのです。
さて、この上下線が離れているという特徴ですが、開業時からのものではありません。
開業時は通常の複線区間と同様に上下線は隣接しており、急カーブの途中にあるというだけの状態でした。
なぜ上下線が離れることになったのかというと、代々木上原を出発した東京メトロの千代田線が、小田急の間を抜けて地下に入っていくためで、その分上下線が離れることとなりました。
千代田線の建設工事に合わせて上下線が離れたのは1975年のことで、1978年の相互直通運転開始に向けてその後も工事が進められていきました。
その時にできた上下線の間隔が、後の10両化に使われることになるとは、偶然とはいえとても幸運なことであったといえそうですね。
おわりに
開業以来何度かの改良を重ねてきた代々木八幡駅。現在の状態が理想的といえそうですから、ようやくこの姿で落ち着くこととなりそうです。
コメント
コメント一覧 (10)
島式ホームの橋上駅になったときにはびっくりしましたね。ホームは端に行くほど狭くなりますが
ワタシダ
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ワタシダ
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仮にこの計画のまま建設されていたら当然上下線が離れていることもなく、代々木八幡に準急が止まることもなかったと思うと面白いものですね。
ワタシダ
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駅の構造もそうですが、通過電車もあそこで減速を強いられる、というのは何とかならなかったのか、との思いですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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もし代々木上原~新宿間を複々線化するならば、代々木八幡付近を高々架にするか、代々木上原とその前後をすべて取り壊して地下化するか、の2択しかありません。
高々架については、小田急は世田谷区内の訴訟で面倒くさい思いを経験しましたから、絶対にやらないでしょう。
かといって地下化は小田急のみならず東京メトロも絡むので、こちらも出来ない。
小田急にとって代々木八幡は悩みの駅だと思います。
ワタシダ
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今では島式ホーム化によりホームと列車の隙間は少なくなり、かつホームドアと可動式ステップによりバリアフリー重視設計に生まれ変わったと言えるでしょう。それを考えると、かつての狭い相対式ホームと列車の隙間は苦い経験とはいえ、今でも足を踏み外してホームから落ちそうになった当時の経験談を思い出させます。
ワタシダ
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ホーム、人1人歩けるかどうか怪しいくらい狭かったんですね。
ワタシダ
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