開業時は利用者が少なく、駅の規模が大きい割に閑散としていた小田急の新百合ヶ丘駅。
1980年代から周辺に大規模な住宅が建設されるようになり、1990年代からは駅周辺も急速に発展しました。
今回の記事では、新百合ヶ丘の利用者がどのように増えてきたのかを振り返ってみたいと思います。
駅の規模は3面6線となっており、近年は全ての種別が停車するようになりました。
周辺には商業施設が集まり、終日に渡って駅は混雑しており、小田原線と多摩線の乗換客も加わることで、階段やエスカレーターが詰まることも日常となっています。
利用客の増加に合わせて過去に駅の改良が行われており、今後も大規模な改良工事が予定されているようです。
現在は賑やかな新百合ヶ丘ですが、開業当時は雑木林に囲まれており、駅自体も閑散としていました。
各駅停車と急行を乗り換える駅という状態が長く続きましたが、1990年代に商業施設が次々と建設され、周辺にマンション等も増えたことで、一気に賑わう駅へと変貌していくこととなります。
1日平均乗降人員の推移を、5年単位で見てみましょう。
単位は年で記載していますが、数字は各年度のものです。
1975年:14,054人
1980年:23,016人
1985年:38,139人
1990年:69,548人
1995年:84,342人
2000年:99,791人
2005年:106,525人
2010年:121,119人
2015年:124,747人
2020年:91,516人
この推移から分かることは、1985年から1995年頃にかけて、急速に利用者が増えているということです。
駅の大規模な改良工事が行われたのもこの頃で、利用者の増加に合わせられていたことがうかがえます。
エルミロードがオープンしたのは1990年代で、利用者が増えて商業施設が建設され、さらに人を呼び込む好循環が生まれたことが分かります。
2000年代は一度利用者の増加が鈍化していますが、百合ヶ丘との間に大規模なマンションが建設された影響からか、2010年にかけて12万人を超えています。
しかし、直近は新型コロナウイルス感染症の影響で10万人を大きく下回り、1990年代後半の水準となってしまいました。
横浜市営地下鉄が延伸することでどのような変化が起きるのか、今から楽しみに待ちたいと思います。
1980年代から周辺に大規模な住宅が建設されるようになり、1990年代からは駅周辺も急速に発展しました。
今回の記事では、新百合ヶ丘の利用者がどのように増えてきたのかを振り返ってみたいと思います。
閑散としていた昔の新百合ヶ丘駅
新百合ヶ丘は、多摩線の開業に合わせて1974年に開業した駅で、待避線を設けた小田原線のホームを外側に配置し、その間に多摩線用のホームが設けられています。駅の規模は3面6線となっており、近年は全ての種別が停車するようになりました。
周辺には商業施設が集まり、終日に渡って駅は混雑しており、小田原線と多摩線の乗換客も加わることで、階段やエスカレーターが詰まることも日常となっています。
利用客の増加に合わせて過去に駅の改良が行われており、今後も大規模な改良工事が予定されているようです。
現在は賑やかな新百合ヶ丘ですが、開業当時は雑木林に囲まれており、駅自体も閑散としていました。
各駅停車と急行を乗り換える駅という状態が長く続きましたが、1990年代に商業施設が次々と建設され、周辺にマンション等も増えたことで、一気に賑わう駅へと変貌していくこととなります。
1日平均乗降人員の推移
1990年代に利用者が一気に増えた印象が強い新百合ヶ丘ですが、数字としてはどれぐらい変わっているのでしょうか。1日平均乗降人員の推移を、5年単位で見てみましょう。
単位は年で記載していますが、数字は各年度のものです。
1975年:14,054人
1980年:23,016人
1985年:38,139人
1990年:69,548人
1995年:84,342人
2000年:99,791人
2005年:106,525人
2010年:121,119人
2015年:124,747人
2020年:91,516人
この推移から分かることは、1985年から1995年頃にかけて、急速に利用者が増えているということです。
駅の大規模な改良工事が行われたのもこの頃で、利用者の増加に合わせられていたことがうかがえます。
エルミロードがオープンしたのは1990年代で、利用者が増えて商業施設が建設され、さらに人を呼び込む好循環が生まれたことが分かります。
2000年代は一度利用者の増加が鈍化していますが、百合ヶ丘との間に大規模なマンションが建設された影響からか、2010年にかけて12万人を超えています。
しかし、直近は新型コロナウイルス感染症の影響で10万人を大きく下回り、1990年代後半の水準となってしまいました。
おわりに
新百合ヶ丘が賑やかになってきたように感じた時期と、乗降人員が多くなっている時期は一致していました。横浜市営地下鉄が延伸することでどのような変化が起きるのか、今から楽しみに待ちたいと思います。
コメント
コメント一覧 (8)
当時の新百合ヶ丘は急行が停まるにしては、殺風景な駅でした。
多摩線の栗平駅もOX位しかなかったのですが、宅地開発は進んでました。五月台、黒川は利用者がほとんどいなかった。
ワタシダ
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新百合ヶ丘駅にさらに改良を加えて、小田原線と多摩線の間での乗り換え客の利便を図るのであれば、各ホームの最前部と最後部に、改札口に繋がらない、乗り換え専用の地下通路を設けて、改札の入出場客との分離を図るのが良いのではないかと思います。
ワタシダ
がしました
駅の周りは雑木林だったころもかすかに記憶があります。1982年に麻生区が多摩区から分区して区役所ができました。
一方で、新百合ヶ丘駅ができる前から開発されていた今の上麻生2丁目や王禅寺西1丁目の住民が、通過車両の増加による交通事故や公害を心配して周辺の道路整備が遅れたり、道路はできても開通が遅れたのを覚えています。
エルミロードが開業したのは1992年、今のイオンスタイルとオーパは1997-98年でした。
駅周辺の開発による人口増加とともに、道路整備により以前は百合ヶ丘発着だった平尾と千代ヶ丘のバスが次第に新百合ヶ丘発着なり(今は百合ヶ丘発着は廃止)、あるいは白山クリーンタウン(ここの建設も王禅寺の住民が高層住宅の建設に反対してかなりもめました)や聖マリアンナ大方面へのバス路線が開通したこともあると思います。
ブルーラインの開業でどう変わるのか見物である一方で、どこに地下鉄の駅をつくるのでしょうか。
また地下鉄工事中に駅周辺がどうなるのかは不安です。
住民の立ち退きや既存のビルの取り壊し、バスターミナルへの影響次第では、いろいろともめて工事が遅れることもあるかもしれません。
もう一つの不安は、実際小中学校の統合が進められましたが、人口の高齢化です。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ほんと、年々混雑がひどくなっていくことが実感され、乗り換え客と乗降客で改札内コンコースや階段が身動き取れなくなることもしばしばでした。ひどい時は下りホームから多摩線まで5分くらいかかってました。
コンコース拡張工事もあまりの利用者増加で、コンコース完成を待たずに一旦乗り換え通路として数ヶ月間開放され、なんとか乗り換えの混雑は緩和され安堵したものです。
ワタシダ
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ワタシダ
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