小田急の起点である新宿から、急行や快速急行で二番目の停車駅となっている下北沢。
元々は地上に駅がありましたが、複々線化に合わせて地下化が行われ、地上を走る小田急は過去の光景となりました。
個性的なお店や小劇場が周辺に多い下北沢ですが、小田急の利用者数はどのように変化してきたのでしょうか。
その分井の頭線との距離は近く、中間に改札もなかったことから、混雑時には狭い通路が滞留していたものの、乗り換えが楽な駅でした。
上下線の間に下りホームがあり、上りホームは線路の外側にあるという独特な構造は、元々あった島式ホームが手狭となり、ホームを増設したことで誕生したものですが、結果的にそれが下北沢特有の雰囲気を生み出すこととなりました。
当然このような状態は昔から課題ではあったものの、複々線化の遅れによって抜本的な改良を進めることができず、2000年代に入っても基本的にはそのままの状態が続きます。
こうした事情から、昔ながらの雰囲気が残っていた下北沢でしたが、複々線化工事の進展によって2013年に地下化が行われ、慣れ親しまれた地上の風景は姿を消しました。
5年刻みでの数字が確認できる、1950年からその変化を見てみたいと思います。
単位は年で記載していますが、数字は各年度のものです。
1950年:36,094人
1955年:46,700人
1960年:62,834人
1965年:84,088人
1970年:121,567人
1975年:129,170人
1980年:135,768人
1985年:139,200人
1990年:144,689人
1995年:135,014人
2000年:132,404人
2005年:127,048人
2010年:131,992人
2015年:114,922人
2020年:82,821人
結果はご覧のとおりで、1990年がこの一覧だと最も乗降人員が多くなっています。
実際のピークは1991年で、145,762人となっていました。
このような推移を辿る中、ホームの増設が行われたのはいつなのかが気になりますが、正確な時期はよく分からず、どうも戦時中だったようです。
実際戦前から戦後にかけても乗降人員が大きく増えており、下北沢の発展は相当昔から始まっていたことが分かります。
1950年代から1960年代にかけて利用者が急激に増加し、1970年代からは鈍化の傾向が見られます。
沿線の発展が郊外に移りつつあったのはこの頃で、都心部の開発が限界に近付きつつあったことをうかがわせます。
その後もゆるやかに上昇を続けてはいるものの、1990年代からは減少傾向となりました。
そして、下北沢の乗降人員に大きな変化があったことが分かるのは、2010年と2015年の比較です。
大きく減少しているのが数字からも分かりますが、2013年と2014年の変化が大きかったことが影響しています。
この時期に何があったのかは、改めて書く必要もないのかもしれませんが、地下深くにホームが潜った影響は数字にも表れていました。
地下深くからでも改札外に出たくなる街づくりが、これからの下北沢にとって今まで以上に重要となりそうですね。
元々は地上に駅がありましたが、複々線化に合わせて地下化が行われ、地上を走る小田急は過去の光景となりました。
個性的なお店や小劇場が周辺に多い下北沢ですが、小田急の利用者数はどのように変化してきたのでしょうか。
迷路のような状態から洗練された地下駅へ
狭いホームと狭い通路が迷路のように入り組み、独特な雰囲気だった下北沢を覚えている方は多いのではないでしょうか。その分井の頭線との距離は近く、中間に改札もなかったことから、混雑時には狭い通路が滞留していたものの、乗り換えが楽な駅でした。
上下線の間に下りホームがあり、上りホームは線路の外側にあるという独特な構造は、元々あった島式ホームが手狭となり、ホームを増設したことで誕生したものですが、結果的にそれが下北沢特有の雰囲気を生み出すこととなりました。
当然このような状態は昔から課題ではあったものの、複々線化の遅れによって抜本的な改良を進めることができず、2000年代に入っても基本的にはそのままの状態が続きます。
こうした事情から、昔ながらの雰囲気が残っていた下北沢でしたが、複々線化工事の進展によって2013年に地下化が行われ、慣れ親しまれた地上の風景は姿を消しました。
1日平均乗降人員の推移
小田急の開業時から存在した下北沢ですが、利用者数はどのように変化してきたのでしょうか。5年刻みでの数字が確認できる、1950年からその変化を見てみたいと思います。
単位は年で記載していますが、数字は各年度のものです。
1950年:36,094人
1955年:46,700人
1960年:62,834人
1965年:84,088人
1970年:121,567人
1975年:129,170人
1980年:135,768人
1985年:139,200人
1990年:144,689人
1995年:135,014人
2000年:132,404人
2005年:127,048人
2010年:131,992人
2015年:114,922人
2020年:82,821人
結果はご覧のとおりで、1990年がこの一覧だと最も乗降人員が多くなっています。
実際のピークは1991年で、145,762人となっていました。
このような推移を辿る中、ホームの増設が行われたのはいつなのかが気になりますが、正確な時期はよく分からず、どうも戦時中だったようです。
実際戦前から戦後にかけても乗降人員が大きく増えており、下北沢の発展は相当昔から始まっていたことが分かります。
1950年代から1960年代にかけて利用者が急激に増加し、1970年代からは鈍化の傾向が見られます。
沿線の発展が郊外に移りつつあったのはこの頃で、都心部の開発が限界に近付きつつあったことをうかがわせます。
その後もゆるやかに上昇を続けてはいるものの、1990年代からは減少傾向となりました。
そして、下北沢の乗降人員に大きな変化があったことが分かるのは、2010年と2015年の比較です。
大きく減少しているのが数字からも分かりますが、2013年と2014年の変化が大きかったことが影響しています。
この時期に何があったのかは、改めて書く必要もないのかもしれませんが、地下深くにホームが潜った影響は数字にも表れていました。
おわりに
新型コロナウイルス感染症の影響により、直近の数字はさらに下がっていますが、今後これはどの程度まで回復するのでしょうか。地下深くからでも改札外に出たくなる街づくりが、これからの下北沢にとって今まで以上に重要となりそうですね。
コメント
コメント一覧 (17)
他駅の例があったり比較の観点があったりしないと客観性が欠けるのではないか、と。
ワタシダ
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小田急線以外ですが、知人にも渋谷乗換えを避ける人は多く、田園都市線→中野の移動に九段下(!)乗換えを、東横線→荻窪の移動に新宿三丁目乗換え、等々。渋谷の複雑さは一時的なものとは言え、影響は大きいように思います。
ワタシダ
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また、今は新型コロナで飛行機を利用する機会がありませんが、新型コロナ前に私は羽田空港に行くときに以前は下北沢・渋谷・品川経由で行っていたのが、下北沢が地下ホームになって乗り換えに時間がかかるようになった時期から登戸で南武線乗り換え・川崎経由に変えました。
ワタシダ
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