複々線化に合わせて高架化が行われ、小田急の全ての踏切が廃止となった狛江市内。
線路が地上を走っていた頃は、開かずの踏切が常態化しており、市内を東西に貫く小田急線によって市域が分断されていました。

開かずの踏切に悩まされていたエリアの中でも、狛江駅付近は特に踏切が開かなかったといわれていますが、それはなぜだったのでしょうか。

高架複々線化によって踏切の問題を解消

小田急の複々線化において、最初に本格的な複々線区間が誕生した区間は、喜多見から和泉多摩川の2.4kmでした。
それ以前に複々線化が完了していた代々木上原から東北沢までの区間が、待避線の延長に近い状態だったのと比較すると、かなり立派なものが完成したと感じたものです。

喜多見から和泉多摩川までの区間は、1989年7月に高架複々線化事業に着工し、地上で線路を切り替えながら工事が進められ、1995年3月に念願であった高架化が行われた結果、一気に13ヶ所の踏切が廃止されました。
ラッシュ時には多くの列車が通過し、開かずの踏切に悩まされていた状態は、高架化によって一夜で解消されたことになります。

複々線化が行われる前の小田急では、朝ラッシュのピークに1時間あたり29本の列車を走らせていました。
単純に計算しても2分に1本の列車が通過することになり、これだけでも踏切がほとんど開かないことは容易に想像ができます。
現在の登戸から百合ヶ丘までが近い状態のように感じますが、駅間が開いていることや、立体交差している道路が多いことを考えると、それ以上に酷かったのだろうと思います。

ほとんど開かなかった狛江駅付近の踏切

小田急が地上を走っていた頃は、沢山の開かずの踏切があった喜多見から和泉多摩川までの区間ですが、特に狛江付近の踏切は開かなかったといわれています。
これはラッシュ時以外にも当てはまり、狛江市内で高架化が切望されていたことにも繋がってきます。

狛江付近は成城学園前から約2.2km、向ヶ丘遊園から約2kmの位置関係にあります。
複々線化前は、成城学園前と向ヶ丘遊園で各駅停車が優等列車の待避を行っていたため、その中間点となる狛江付近は列車の間隔が一定になってしまい、踏切が開くタイミングがどうしても少なくなってしまいました。

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昔は今よりも各駅停車の本数が多かったため、狛江駅に隣接する喜多見9号踏切等はとにかく開かなかったようです。
各駅停車を追い抜いた急行や特急が通過した後は、それを各駅停車が必死に追いかけてきますが、どうしてもある程度は離されてしまいます。
急行や特急が通過して踏切が開いたかと思えば、今度は各駅停車がやって来てまた閉まる、これが上下線で入り乱れるわけですから、開かないのも頷けます。

そのような状態が一夜にして解消したことを考えると、当時の変化は相当なものだったのでしょうね。

おわりに

複々線化が完成して、徐々に年月も経過してきました。
その光景も当たり前となりつつありますが、完成前には多くの苦労があったことを思い出すと、今の状態には感謝しかありません。