小田急小田原線と東京メトロ千代田線の乗換駅であり、相互直通運転も行われている代々木上原。
新宿方で千代田線は小田急の間を抜けて地下に潜り、東京の都心部へと向かっていきます。
上りの急勾配で小田急は代々木上原に到達しますが、この場所は運転上の難所でもありました。
自転車で坂道を上る際に大きな力がいるように、電車が坂を上る際にも力が必要となりますが、ただモーターの出力を上げれば済む問題ではなく、力を出しすぎると空転してしまうのです。
このような弱点があることから、鉄道では極力勾配を避けていますが、都市部等では限られた用地の中に線路を通す必要があるため、地下鉄を中心に近年は急勾配が避けられなくなっています。
今回ご紹介する小田急の代々木上原付近は、千代田線の建設に合わせて高架化が行われており、代々木八幡から代々木上原の間に27‰の急勾配が存在します。
下北沢付近の地下化によって、現在は35‰というさらに上の急勾配も存在しますが、当時の小田急で27‰は圧倒的な急勾配でした。
千代田線の開業に合わせたやむを得ない事情とはいえ、できれば避けたい勾配だったことでしょう。
それは代々木八幡が急曲線になっていることが影響しており、下り線は急曲線を抜けるとすぐに急勾配となってしまうのです。
運転上の難所とはいっても、晴天時に大きな問題はありませんでした。
代々木八幡の手前で車輪に油を塗っているため、それが残ってしまうことで空転を起こすことはありましたが、そこまで酷いものではなかったように思います。
問題は悪天候の際で、雨の降り始めや降雪時には激しい空転を起こし、運転士が苦労しながら勾配を上らせるシーンに遭遇することも多くありました。
車両によっても影響は異なり、2600形のように粘着限界に近い性能の車両では空転が顕著で、加速しきれないうちに代々木上原に着いてしまうようなこともあったと記憶しています。
どの車両が一番大変だったのか等も、素人の目線では気になるところです。
この場所が空転を起こしやすかった理由は定かではないものの、代々木八幡を通過する際に油が塗られていること、それに加えて加速が必要な区間であることが影響していたのでしょうか。
そんな難所は、車両の性能が向上したことでいつしか昔ほどは苦労しなくなり、今も状況によって空転してしまうことはあるものの、軽いもので済むようになりました。
2600形に乗っていて雨が降り始めると、代々木上原の手前が大変そうだなと心配になったものです。
書籍等では難所として紹介されていたものですが、実際に運転する際にはどの程度のものだったのでしょうか。
運転士の方は苦労していたのだと思いますが、そこは職人技でなんとかしてしまうもので、頼もしく感じたことを思い出します。
新宿方で千代田線は小田急の間を抜けて地下に潜り、東京の都心部へと向かっていきます。
上りの急勾配で小田急は代々木上原に到達しますが、この場所は運転上の難所でもありました。
代々木上原駅手前にある27‰の急勾配
鉄の車輪が鉄のレールの上を走るため、小さな摩擦力で効率のよい輸送ができるのが鉄道の強みですが、それによって勾配が苦手という弱点も抱えています。自転車で坂道を上る際に大きな力がいるように、電車が坂を上る際にも力が必要となりますが、ただモーターの出力を上げれば済む問題ではなく、力を出しすぎると空転してしまうのです。
このような弱点があることから、鉄道では極力勾配を避けていますが、都市部等では限られた用地の中に線路を通す必要があるため、地下鉄を中心に近年は急勾配が避けられなくなっています。
今回ご紹介する小田急の代々木上原付近は、千代田線の建設に合わせて高架化が行われており、代々木八幡から代々木上原の間に27‰の急勾配が存在します。
下北沢付近の地下化によって、現在は35‰というさらに上の急勾配も存在しますが、当時の小田急で27‰は圧倒的な急勾配でした。
千代田線の開業に合わせたやむを得ない事情とはいえ、できれば避けたい勾配だったことでしょう。
悪条件が重なっている運転上の難所
千代田線の開業によって誕生した代々木上原の急勾配ですが、悪条件が重なっていることで運転上の難所となってしまいました。それは代々木八幡が急曲線になっていることが影響しており、下り線は急曲線を抜けるとすぐに急勾配となってしまうのです。
運転上の難所とはいっても、晴天時に大きな問題はありませんでした。
代々木八幡の手前で車輪に油を塗っているため、それが残ってしまうことで空転を起こすことはありましたが、そこまで酷いものではなかったように思います。
問題は悪天候の際で、雨の降り始めや降雪時には激しい空転を起こし、運転士が苦労しながら勾配を上らせるシーンに遭遇することも多くありました。
車両によっても影響は異なり、2600形のように粘着限界に近い性能の車両では空転が顕著で、加速しきれないうちに代々木上原に着いてしまうようなこともあったと記憶しています。
どの車両が一番大変だったのか等も、素人の目線では気になるところです。
この場所が空転を起こしやすかった理由は定かではないものの、代々木八幡を通過する際に油が塗られていること、それに加えて加速が必要な区間であることが影響していたのでしょうか。
そんな難所は、車両の性能が向上したことでいつしか昔ほどは苦労しなくなり、今も状況によって空転してしまうことはあるものの、軽いもので済むようになりました。
2600形に乗っていて雨が降り始めると、代々木上原の手前が大変そうだなと心配になったものです。
おわりに
かつて小田急を走っていた車両には、粘着性能に余裕がない形式があり、上り勾配での空転にはよく遭遇しました。書籍等では難所として紹介されていたものですが、実際に運転する際にはどの程度のものだったのでしょうか。
運転士の方は苦労していたのだと思いますが、そこは職人技でなんとかしてしまうもので、頼もしく感じたことを思い出します。
コメント
コメント一覧 (12)
なんていう珍論を展開している者が… www
何故ブレーキ系が変更されると加速が良くなるのか
風が吹けば桶屋が儲かる よりも難解な珍論だな
電気指令式でワンハンドルマスコンだったりしたら 勾配起動スイッチ が設置されていない場合
ブレーキを軽く当てながらノッチ投入して後退させずに起動させる 自動車でのハンドブレーキを引きながら半クラッチでの坂道発進 のようなことができず
かえって勾配起動が難しくなったりもするのに
そして勾配起動ではない加速についてならブレーキの方式は力行を制御する部分には全く無関係なはずなのだが
はてさて
ワタシダ
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1970年代、代々木上原の新宿寄りはどのような将来構想だったのでしょうか。21世紀初頭くらいには複線で高架にすることも考えていたかもしれません。
ワタシダ
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結局加速出来ずに善行到着してたこともありましたね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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上原~東北沢の本線は1線使用のままで先行列車と異なる種別の列車が追い付くと
先行列車が上原発車後も後続列車に対する信号が 停止/警戒/注意 などからポンと進行になることがなく段階を追って上位に変化で…
ジリジリジリジリと這うように上り坂で停まらないように進む なんていうのがありがちでしたよね
いつからか外側→東北沢停車線 内側→東北沢通過線 に上原出発直後に振り分けられるようになって
先行列車の後尾が分岐を越えてくれれば 後続列車にいきなり進行信号が出るようにもなったはずだけど……
それにしても…
中央線の山梨県内区間でで電化に併せてスイッチバックを廃止した 見るからに急勾配上にホーム という初狩や笹子や韮崎などの駅でも
115系はすんなりとグイグイ加速しながら発車できたのに比べて小田急車はこの区間で停まってしまうとなぜてこずるのか…
ちょっと合点がいかなかったっけな……
ワタシダ
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八幡駅付近で超徐行して、勾配で停止しないようにする同僚もいましたが、踏切遮断時間が長引くのと閉塞追いの続行が詰まり、遅れる元になるので、やらないように指導されていました。普通に運転すると警戒で進入→次が停止現示なので、その後進行指示現示に変わった時に空転してしまい非常制動がかかってしまうので本当に気を使いました。
ワタシダ
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4ノッチで加速→空転どん!
2ノッチ保ち
ノッチ進めたら、また空転。
マスコンを小刻みに2↔3して、少しづつ進段加速させてました。(その時は意味不明でしたが後年理解できました^^;)
いまはモーター音は変動するけど、車が勝手に制御してくれてますね(^^)
ワタシダ
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なので予め直列弱界磁を投入したこともありました。
あそこで止まりたくないから八幡駅付近でわざと超元気である
ワタシダ
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2600形のような大型のモーターを搭載した車両は特に苦戦していました。
ワタシダ
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代々木上原で小田原線の上下線に挟まれとる千代田線も地下から高架へ上る勾配がそれなりにありますから、やはり何と言ってもここが苦労のいる区間やと言えるでしょう。もし、千代田線も地上で建設されたら現在のようなこうした急勾配はなかったでしょうし、現在とは違う昔ながらの雰囲気が残っていたかもしれませんね。
ワタシダ
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