東京メトロ千代田線との接続駅で、小田急の複々線の起点ともなっている代々木上原。
代々木上原から先は登戸までが複々線区間となっており、多くの列車が終日に渡って行き交う光景が見られます。

現在は見慣れた光景となった小田急の複々線ですが、最初に複々線となったのは代々木上原から東北沢の1駅間でした。
なぜこの区間だけを、先行して複々線化することができたのでしょうか。

小田急で最初に複々線化された区間

2018年に代々木上原から登戸までの複々線化が完成し、その風景も徐々に見慣れたものとなってきました。
時代が平成に突入した1989年に、和泉多摩川から都心方向に進み始めた複々線化は、30年近くの歳月をかけてついに完成したのでした。

小田急の複々線化といえば、和泉多摩川から都心に向かって進んできたというイメージがありますが、最初に複々線化が完成したのは、最も都心寄りとなる代々木上原から東北沢までの1駅間でした。
この区間は、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線との相互直通運転に合わせて複々線化が行われ、短いながらも小田急で最初の複々線区間となったのです。



しかし、下北沢付近の地下化を進める関係で、工事の最中は複線に戻されていたため、結果的には最後に複々線化されたようなイメージとなってしまいました。

代々木上原付近はなぜ早期に複々線化ができたのか

千代田線との乗り入れが関係しているとはいえ、なぜ代々木上原付近だけを早期に複々線化することができたのでしょうか。
しかも、小田急の線路の間には千代田線の列車が折り返すための引き上げ線が設けられており、合計で6本もの線路が並ぶ状態がかなり昔から存在していたことになります。

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複々線の距離としては短く、東北沢の通過線を延長したようなものではありましたが、他の区間よりもかなり早い段階で複々線化が完成していたことになります。
この区間だけを先に複々線化できた背景には、当時からまとまった用地があったことが関係しています。

東北沢の新宿寄りには、砂利を運んできた貨物列車のための側線が設けられていました。
つまり、元々まとまった鉄道用地があり、比較的容易に複々線化をすることが可能だったのです。
砂利の輸送自体は既に廃止となっていたため、用地の有効活用が図られたともいえそうです。

側線自体は2本で、東北沢の新宿寄りから代々木上原に向かって下り線側に設けられていました。
当時は代々木上原にかけて下り勾配となっていたため、フラットにする必要がある側線は、本線に対して徐々に高くなっていく構造でした。

現在の複々線区間のように、ダイナミックな追い越しはあまり見られませんでしたが、線路が沢山並ぶ光景は見ていて楽しかったことを思い出します。

おわりに

小田急で最初の複々線区間となったのは、代々木上原から東北沢までの僅か0.7kmでした。
あまりにも短かったため、複々線らしさはほとんどありませんでしたが、その後に繋がる最初の一歩となったことは間違いありません。
現在の複々線区間は10.4kmとなっており、改めてその後の変化に驚かされます。