高性能車へと改造されたことで、晩年は他形式との併結運転が日常的に見られるようになった小田急の4000形。
3000形や8000形の更新車とも繋げられ、ブレーキ読み替え装置を活用して運転されていました。

最終的には3000形の後期車とも併結運転が行われていましたが、それが見られたのはどれぐらいの期間だったのでしょうか。

3000形とも併結運転を行った4000形

先日Twitterに1枚の写真を公開したところ、実は比較的珍しい写真だったということに気付かされました。
それは以下の写真で、新宿方に4000形の4両、小田原方に3000形の6両が繋がっています。

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4000形と3000形の併結運転自体はそこまで珍しいものではありませんでしたが、3000形のスカートを見てみると、これが後期車だということに気付きます。
同時に在籍していた期間が短いため、そんなに長い期間見られたものではありませんが、併結運転自体は行われていました。

3000形の後期車である3次車以降には、車両全体の情報制御を行うシステムとして、TIOSが導入されました。
当時の運用上、避けることはできなかったとはいえ、電気ブレーキすらない4000形と純電気ブレーキの3000形を繋いでいたというのは、よく考えれば凄いことであり、最終的にはそこにTIOSまで絡んでいたことになります。

4000形と3000形の後期車が併結運転を行った期間

なんとなく短い期間であったことは予想ができますが、実際にはどれぐらいだったのでしょうか。
まずは同時に在籍していた期間を把握するために、4000形の廃車日と3000形の竣功日を確認してみましょう。

【4000形の廃車日】
4053F:2004年7月22日
4057F:2004年7月22日
4054F:2004年8月13日
4056F:2004年8月13日
4058F:2004年10月6日
4052F:2004年11月16日
4051F:2004年12月16日
4055F:2005年1月11日

【3000形の竣功日】
3263F:2003年11月20日
3264F:2004年3月31日
3265F:2004年4月15日
3266F:2004年4月26日
3267F:2004年10月22日
3268F:2004年11月1日

まず、4000形の4両は8編成しかなかったため、そもそもの母数が少ないということが分かります。
2004年の夏から廃車が始まり、早々に4編成が離脱していることから、これによって4000形の母数が一気に減っています。

4000形の営業運転は2004年12月10日まで行われましたが、2004年10月16日からは4055Fと4257Fが10両の半固定編成として扱われていました。
つまり、夏に4編成が廃車されて以降は稼働している編成自体が少なかったということになります。

3000形については、3263Fが営業運転を開始したのが2004年2月で、3264Fが4月に続きます。
4000形と併結運転を行った3000形の後期車は6編成で、秋以降に2編成が加わるまでは4編成しかなく、3263Fは試運転で運用から外れていることも多かったため、こちらも母数は少ないといえます。

まとめると、約10ヶ月は併結運転を行っていた期間があるものの、3000形が増える頃には4000形が減ってきているため、思っている以上に見る機会は少なかったといえます。
4月から7月にかけての3ヶ月程度が、どちらも編成数が比較的多い状態だったことから、最も見られた時期ということになりそうです。

おわりに

過渡期の光景というのは、あっという間に見られなくなるものだということを痛感します。
そんな貴重な光景を確実に記録するには、日常的に撮影することが不可欠なのかもしれませんね。