急行以上の優等列車は停車しないものの、待避線のある2面4線のホームを備えている小田急の相武台前駅。
駅の南側には留置線が備えられており、夜になると営業を終えた車両が集まってきます。

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写真からも分かるとおり、相武台前には沢山の留置線がありますが、それはなぜなのでしょうか。

相武台前にある留置線

相模大野と海老名の中間に位置する相武台前は、駅の南側に多くの留置線が設けられています。
日中は電車がほとんどいないため、広大な敷地に線路だけが並んでいますが、夜間には営業を終えた車両が集まり、翌日の営業に備える光景が見られます。

現在の小田急では、相模大野、相武台前、海老名と、小田原線の中心付近に集中して車両を留置できるようになっています。
相武台前はその役目の一部を担っていることになりますが、相模大野や海老名は検修施設であるのに対して、こちらは留置線であるという違いがあります。

このような違いから、車両の数が増えたことで設置されたようにも感じてしまいますが、実際にはそうではなく、その起源は小田原線の開業時にまでさかのぼります。

相武台工場の名残である留置線

小田原線の開業に合わせて設置された相武台前には、かつて相武台工場が存在しました。
開業当時には、経堂と相武台前に工場が存在し、相武台工場は主に電気機関車と貨車の検査を担当していました。
今の小田急からは想像ができませんが、昔は貨物輸送も盛んで、多数の電気機関車や貨車が在籍していたのです。

しかし、戦後になって車両数が増加してくると、経堂や相武台前の工場では手狭となってきたことから、相模大野に新設する大野工場(現在の大野総合車両所)に集約され、相武台工場は廃止されました。
相武台工場では、ほとんどの作業が人力で行われていたようで、大野工場への統合によって近代化も図られることとなりました。

工場がなくなった後も留置線はそのまま残されますが、昔は電気機関車や貨車が多く留置されていました。
それらの車両が徐々に姿を消すと、徐々に電車が使用する割合が増加し、夜間に車両が集まる留置線という現在のスタイルに落ち着きました。

おわりに

小田原線の開業時に存在した、相武台工場がルーツとなっている相武台前の留置線。
日中は車両がほとんどいませんが、夜になると続々集まってくる光景を眺めてみるのも、それはそれで面白いかもしれません。