小田急にある全70駅の中で、1日平均駅別乗降人員で6位となっている海老名駅。
相模鉄道とJR東日本も加えた3路線が乗り入れており、近年は商業施設や高層マンションの建設が続いています。

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多くの路線が集まり、賑わうようになった海老名ですが、各路線の駅は元々この場所にあったわけではなく、最終的に集まって現在の姿となりました。

相鉄の小田急への乗り入れ

1927年に小田急が開業した当時、現在の位置に海老名駅はありませんでした。
その代わりとして存在したのが、現在の位置から1.1kmほど新宿寄りにあった海老名国分駅です。
現在の海老名に乗り入れている3路線の中で、最後に開業したのが小田急であり、それによってこの付近のバランスに変化が生じた面もあるのかもしれません。

小田急が開業した当時、これらの3路線の乗換駅として機能したのは河原口(現在の厚木)駅でした。
簡単に経緯をまとめると、以下のとおりとなります。

1926年5月12日:神中鉄道(相模鉄道の厚木線)の厚木駅が開業
1926年7月15日:相模鉄道(JR東日本の相模線)の厚木駅が開業
1927年4月1日:小田原急行鉄道(小田急の小田原線)の河原口駅が開業
1929年1月22日:神中鉄道の厚木駅構内に中新田口乗降場が開業

現在の相模鉄道は神中鉄道で、JR東日本の相模線が相模鉄道であったという、頭がこんがらがる歴史ですが、こうしてまずは厚木の周辺に3路線が集まりました。
しかし、この状態は長く続かず、神中鉄道に動きがあり、小田急の本厚木駅までの乗り入れを行うために、新線の建設が行われたのです。
そこからの経緯は、以下のとおりとなります。

1941年3月1日:小田原急行鉄道が親会社の鬼怒川水力電気に合併して小田急電鉄と改称
1941年11月25日:神中鉄道(相模鉄道の本線)の海老名駅が開業
1941年11月25日:神中鉄道が小田急電鉄の相模厚木(現在の本厚木)駅までの乗り入れを開始
1941年11月25日:神中鉄道の厚木線が旅客営業を廃止
1942年5月1日:東京急行電鉄が小田急電鉄を吸収合併
1942年4月1日:東京急行電鉄(小田急の小田原線)が海老名国分駅を廃止して海老名駅の旅客営業を開始

簡単にまとめると、小田急に乗り入れるために相鉄は末端部のルートを変更、海老名を設けて本厚木までの乗り入れを行うようになりました。
小田急は当初海老名に停車をしませんでしたが、追って停車するようになったという経緯です。
駅の位置は若干新宿寄りでしたが、この時点で小田急と相鉄の海老名は開業していたことになります。

最後に開業した相模線の海老名駅

2路線が集まった後、1943年4月に新たな動きがありました。
相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、一つの相模鉄道となったのです。

しかし、戦時体制下で1944年6月に相模線が国有化され、結局は元々神中鉄道だった路線だけが相模鉄道に残りました。
現在の相模鉄道が神中鉄道で、相模線が相模鉄道だったというややこしい事態は、このような経緯によるものでした。

戦時中の中断がありながらも、相鉄から小田急への乗り入れは戦後も続きますが、1964年11月5日に中止されました。
1973年12月21日には、小田急と相鉄の海老名が若干移転し、駅は現在の位置に落ち着きました。

さて、この時点でも相模線の海老名駅はありませんでした。
相模線の海老名が開業したのは、国鉄時代の1987年3月21日のことで、分割民営化によってJR東日本となる直前のことだったのです。
こうして現在の海老名が形成され、3路線が集まる状態となりました。

おわりに

相模線の駅が開業したことで、最終的に3路線が集まることとなった海老名駅。
元々はどの路線の駅もありませんでしたが、こうして集まってきた歴史的な経緯は面白いものですね。