神奈川県大和市に所在し、小田急の江ノ島線と東急の田園都市線の乗換駅となっている中央林間。
江ノ島線の開業と同時に誕生した中央林間は、後に田園都市線が乗り入れたことで、都心部に直結する駅としてさらに発展することとなりました。
現在は快速急行と急行が停車する小田急の中央林間ですが、急行停車駅となったのは田園都市線が開業してからしばらく経ってからのことでした。
1976年にはつきみ野までが開業していた田園都市線でしたが、そこから1駅を延伸するのに8年近くを要したことになります。
これは駅の設置場所を決めるのに時間がかかったためのようで、既に駅がある場所に乗り入れることの難しさを感じさせられます。
田園都市線の開業により、中央林間は小田急と東急の乗換駅となり、渋谷方面への都心直通ルートが完成することとなりました。
その一方で、小田急の中央林間は引き続き従来どおりの途中駅であり、優等列車の停車は行われていません。
鉄道路線が新規に乗り入れるという点では、少々温度差がある状況だったといえます。
小田急が中央林間を急行停車駅としたのは1990年3月27日のことで、田園都市線の開業から約6年後のことでした。
現在は快速急行の停車駅でもあり、江ノ島線内において重要な位置付けの駅となっています。
まず、急行の停車駅が近接しすぎることを嫌がった可能性があります。
現在の急行停車駅を見ても分かるとおり、相模大野、中央林間、南林間、大和と、近接して多数の停車駅がある状況です。
6駅中の4駅に停車している状況であり、これを避けたいと考えても不自然ではありません。
後に湘南急行や快速急行が南林間と長後を通過駅としたことも、この事情を反映しているといえそうです。
そのような状況下で、当時の中央林間は利用者が多い駅ではありませんでした。
田園都市線の開業によって周辺の発展が加速した面もあり、乗り換えの不便さは若干あるものの、急いで停車させる理由はなかったのかもしれません。
当時は急行の本数がまだ少なく、停車によるメリットもそこまではなかったでしょう。
そして、すぐに小田急が急行を停車させなかったことには、歴史的な経緯も若干関係している可能性があります。
東急が中央林間への延伸を計画した際、小田急は東急に対して鶴間以南へと接続するように要望を出していました。
これは新宿方面への旅客流動に影響が生じることを懸念してのもので、東急も小田急に対しての配慮は見せたものの、結果として中央林間への接続は変わりませんでした。
小田急として嬉しい展開ではなかったことで、すぐに急行を停車させるという配慮まではしなかったのかもしれません。
しかし、田園都市線の乗り入れ後に中央林間の発展は加速し、結果としては小田急にとってもプラスの展開になったといえそうですね。
元々は目立たない駅でしたが、田園都市線の接続によって、線内での立ち位置は大きく変わることとなりました。
江ノ島線の開業と同時に誕生した中央林間は、後に田園都市線が乗り入れたことで、都心部に直結する駅としてさらに発展することとなりました。
現在は快速急行と急行が停車する小田急の中央林間ですが、急行停車駅となったのは田園都市線が開業してからしばらく経ってからのことでした。
田園都市線の開業と急行停車駅化
東急の田園都市線が延伸し、小田急の中央林間に到達したのは1984年4月9日のことでした。1976年にはつきみ野までが開業していた田園都市線でしたが、そこから1駅を延伸するのに8年近くを要したことになります。
これは駅の設置場所を決めるのに時間がかかったためのようで、既に駅がある場所に乗り入れることの難しさを感じさせられます。
田園都市線の開業により、中央林間は小田急と東急の乗換駅となり、渋谷方面への都心直通ルートが完成することとなりました。
その一方で、小田急の中央林間は引き続き従来どおりの途中駅であり、優等列車の停車は行われていません。
鉄道路線が新規に乗り入れるという点では、少々温度差がある状況だったといえます。
小田急が中央林間を急行停車駅としたのは1990年3月27日のことで、田園都市線の開業から約6年後のことでした。
現在は快速急行の停車駅でもあり、江ノ島線内において重要な位置付けの駅となっています。
なぜ急行をすぐに停車させなかったのか
小田急が中央林間に急行を停車させなかった理由は定かではないものの、複合的な要因が絡んでいたのだと推察されます。まず、急行の停車駅が近接しすぎることを嫌がった可能性があります。
現在の急行停車駅を見ても分かるとおり、相模大野、中央林間、南林間、大和と、近接して多数の停車駅がある状況です。
6駅中の4駅に停車している状況であり、これを避けたいと考えても不自然ではありません。
後に湘南急行や快速急行が南林間と長後を通過駅としたことも、この事情を反映しているといえそうです。
そのような状況下で、当時の中央林間は利用者が多い駅ではありませんでした。
田園都市線の開業によって周辺の発展が加速した面もあり、乗り換えの不便さは若干あるものの、急いで停車させる理由はなかったのかもしれません。
当時は急行の本数がまだ少なく、停車によるメリットもそこまではなかったでしょう。
そして、すぐに小田急が急行を停車させなかったことには、歴史的な経緯も若干関係している可能性があります。
東急が中央林間への延伸を計画した際、小田急は東急に対して鶴間以南へと接続するように要望を出していました。
これは新宿方面への旅客流動に影響が生じることを懸念してのもので、東急も小田急に対しての配慮は見せたものの、結果として中央林間への接続は変わりませんでした。
小田急として嬉しい展開ではなかったことで、すぐに急行を停車させるという配慮まではしなかったのかもしれません。
しかし、田園都市線の乗り入れ後に中央林間の発展は加速し、結果としては小田急にとってもプラスの展開になったといえそうですね。
おわりに
江ノ島線内の数少ない快速急行の停車駅として、現在は重要性も増している中央林間。元々は目立たない駅でしたが、田園都市線の接続によって、線内での立ち位置は大きく変わることとなりました。
コメント
コメント一覧 (24)
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乗換客以外の利用客は鶴間駅や南林間駅の方が多そう。
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横浜線の快速も、菊名に停車したことで連続停車と1駅しか通過しない区間が増え速達性が失われましたが、それまでは連続停車をJRも嫌っていたのかもしれません。
もし川崎縦貫高速鉄道(川崎市地下鉄)が実現していたら、東急は接続駅を鷺沼にするよう強く要望し、川崎市は「遠回りになり建設費が嵩む」「横浜市に近過ぎる」と回答し宮前平駅へ接続させたでしょう。もし実現していたら、今頃田園都市線の準急が宮前平に停車していたかもしれません(前記内容を鑑みれば急行はおそらく通過。歴史にifは禁句だが…)
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あちらは御堂筋線も難波通るので泉北線や北野田方面の乗客に逃げられるのを阻止するためにやむなしですが
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ただ、結果的には地元住民からの要望に応える形で連続停車となりましたが、同時期に自由が丘〜多摩川で連続停車となった東横線の急行を思わせるパターンとなりました。
今回の中央林間やコメント中のあざみ野と同じくブルーライン(及び相鉄いずみ野線)延伸で急行停車駅化された湘南台もそうですが、やはり小田急としても急行の連続停車を避けたかったという意図があったのかもしれませんね。
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さて、今日は小田急の2022年鉄道事業設備投資計画が発表されましたね。大きなトピックとしては
・5000形を3編成増備
・6両の3000形を3編成リニューアル
・本厚木駅1、2番ホームに特急車両対応の大開口ホームドア設置
が挙げられます。
5000形は5062Fまでが登場することになるでしょうから、1000形の置き換えがさらに進むことになりますね。
3000形については6両が3編成リニューアルということで、現在入場中の3265Fに加えてもう2編成リニューアルされるということになります。この2編成はおそらく3次車以降の編成になるでしょうか?
本厚木へ設置されるホームドアは、小田急発の特急車両対応のホームドアとなり、今後も特急停車駅のホームドア設置が進むことでしょう。
その他にも、今回取り上げられた中央林間の改良工事や、第一四十八瀬川橋梁の補強工事などが行われます。
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