快速急行を主体としたダイヤになり、昔に比べて影が薄くなった小田急の急行。
以前は新宿から箱根湯本までを走る列車が多くあり、特急を除く優等列車の主力でした。

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ロマンスカーとは違った旅情を感じつつ、箱根湯本まで行くことができた急行は、なぜ廃止されてしまったのでしょうか。

主力だった箱根湯本行きの急行

1950年8月1日に始まった小田急から箱根登山線への乗り入れによって、乗り換えをせずに箱根という観光地に行けるようになりました。
いつ頃からそのような状態となったのかはよく分かりませんが、一時期はロマンスカーと急行が乗り入れの中心となっており、箱根登山鉄道の短い車両に混ざって箱根湯本まで走っていました。

昔は現在のように大型車が乗り入れることはできず、箱根湯本行きの急行は中型車に限定されており、2400形が専用車両に近い状態となっていた時期もありました。
4両の短い編成は当然のように混雑し、非冷房車に限定されていたことで苦しい時期が続きましたが、1982年7月12日から大型車の6両が入線できるようになったことで、箱根湯本行きの急行は一気にサービスの改善が図られたのです。

その後は6両の大型車が乗り入れの標準となり、2000年12月2日以降は乗り入れの本数も大幅に増加しました。
こうして小田急から箱根登山線への乗り入れ本数が最も多い時期が始まったものの、それが長続きすることはなく、2008年3月14日をもって急行の乗り入れはなくなってしまいました。
しばらくは各駅停車が直通運転を行っていましたが、それもやがてなくなってしまい、現在は入出庫を兼ねた直通運転が僅かに残るのみとなっています。

箱根湯本行きの急行はなぜ廃止されたのか

利便性が高かった箱根湯本行きの急行でしたが、箱根登山線に乗り入れることにより、他の列車と比較した場合にハンデを背負っている面もありました。
それは10両の列車が入線できないことで、途中駅で分割併合を行う等して、6両以下の編成で乗り入れる必要があったのです。

小田急は、1998年8月22日に全線で急行の10両運転を開始し、2002年には湘南急行を登場させました。
2004年には湘南急行を発展させた快速急行を登場させ、一部は小田原まで顔を出すようになります。
これらの列車は途中駅での分割併合を行わず、全区間を10両で走行することが特徴で、輸送力の最大化と到達時間の短縮が図られています。

湘南急行や快速急行の登場後も箱根湯本行きの急行は残り、新松田で引き続き分割併合を行うことが基本となっていました。
しかし、分割併合は輸送力の変化に対応しやすい面はあったものの、ダイヤが乱れた際の対応が厄介といったようなデメリットもあり、やがて廃止の方向へと進むこととなりました。
途中駅での分割併合がなくなることで、10両固定編成の導入も進めやすくなるため、将来的に先頭車を減らすことも考えて、急行の箱根湯本への乗り入れを廃止することに踏み切ったのでしょう。

それ以外にも、風祭の駅を改良することにより6両での運転ができなくなることや、ダイヤが乱れた際の影響を少なくしたいといった意向もあったのだと思います。
乗り換えをしたくない場合にはロマンスカーという選択肢があるため、特急の利用を促進したいという側面もあるのかもしれません。

急行といえば箱根湯本行きのイメージが強かったものですが、こうして長い歴史に幕が下ろされることとなりました。

おわりに

全線で10両の運転を本格化させることと引き換えに、消えていくこととなった急行の箱根登山線への乗り入れ。
急行で箱根湯本まで乗り通すことは、ロマンスカーに比べれば多少辛い面もあったものの、それはそれで楽しい部分があったようにも思います。