大躍進を遂げた湘南台駅の隣に位置し、日本大学の最寄駅ともなっている小田急江ノ島線の六会日大前駅。
元々は六会という駅名でしたが、後に現在の駅名へと改称されました。
昔の駅名と日本大学が組み合わせられたことは分かるものの、現在の駅名にも残る「六会」には、どのような由来があるのでしょうか。
開業時の駅名は六会で、現在の駅名にもその部分が残っています。
当時は湘南台と善行が存在せず、この付近では唯一の駅でもありました。
六会という駅名は地名が由来となっており、当時存在した六会村から名付けられました。
駅名の由来としてはあまりにもシンプルなパターンですが、そもそも六会村という名前は何が由来なのでしょうか。
六会村は1889年に誕生した村で、円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村、石川村、これらの六つの村が合併して誕生しました。
六つの村が合併したから六会村、シンプルですがどこか素敵なネーミングでもあります。
しかし、1942年に六会村は藤沢市へと合併し、この村の名前は過去のものとなってしまいました。
付近の施設や駅名にその名前は残るものの、藤沢市への合併によって地名としては消えてしまったのです。
現在の駅名への改称時のことで、日本大学から駅名変更の請願が行われたのです。
その際に提案された駅名は湘南日大前で、六会は含まれていないものでした。
湘南台の隣の駅に湘南を入れるのは紛らわしい気もしますが、それだけ湘南というワードが持つイメージは価値があるのでしょう。
しかし、駅名の改称に対して、近隣住民からは六会を残してほしいとの要望がありました。
最終的に駅名は現在の六会日大前に落ち着き、六会という地名はその後も駅名の中に残ることとなりました。
現在の駅名に改称されたのは1998年8月22日のことで、その少し前には橋上駅舎化も行われており、各駅停車しか停車しない割には、比較的立派な駅となっています。
近隣住民から残すことが要望されたというのも、地元愛を感じる素敵なエピソードですね。
元々は六会という駅名でしたが、後に現在の駅名へと改称されました。
昔の駅名と日本大学が組み合わせられたことは分かるものの、現在の駅名にも残る「六会」には、どのような由来があるのでしょうか。
六つの村が合併して誕生した六会
六会日大前は、江ノ島線が開業した1929年4月1日に設置されました。開業時の駅名は六会で、現在の駅名にもその部分が残っています。
当時は湘南台と善行が存在せず、この付近では唯一の駅でもありました。
六会という駅名は地名が由来となっており、当時存在した六会村から名付けられました。
駅名の由来としてはあまりにもシンプルなパターンですが、そもそも六会村という名前は何が由来なのでしょうか。
六会村は1889年に誕生した村で、円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村、石川村、これらの六つの村が合併して誕生しました。
六つの村が合併したから六会村、シンプルですがどこか素敵なネーミングでもあります。
しかし、1942年に六会村は藤沢市へと合併し、この村の名前は過去のものとなってしまいました。
付近の施設や駅名にその名前は残るものの、藤沢市への合併によって地名としては消えてしまったのです。
駅名の改称時にも残された「六会」
地名から消えた後も駅名に残り続けた六会ですが、この古い地名が駅名から消えそうになったことがありました。現在の駅名への改称時のことで、日本大学から駅名変更の請願が行われたのです。
その際に提案された駅名は湘南日大前で、六会は含まれていないものでした。
湘南台の隣の駅に湘南を入れるのは紛らわしい気もしますが、それだけ湘南というワードが持つイメージは価値があるのでしょう。
しかし、駅名の改称に対して、近隣住民からは六会を残してほしいとの要望がありました。
最終的に駅名は現在の六会日大前に落ち着き、六会という地名はその後も駅名の中に残ることとなりました。
現在の駅名に改称されたのは1998年8月22日のことで、その少し前には橋上駅舎化も行われており、各駅停車しか停車しない割には、比較的立派な駅となっています。
おわりに
地名としてはかなり昔に消えつつも、駅名には現在も残り続けている六会。近隣住民から残すことが要望されたというのも、地元愛を感じる素敵なエピソードですね。
コメント
コメント一覧 (23)
ワタシダ
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六会で降りると独特の臭い(笑い)。
割りと弁当の時間に多く、大学にプールをに貸さないから嫌がらせをしているんだ~と冗談を言っていた先生もいました。
その後、日藤で10年近く非常勤講師をして退職後に橋上駅になり、駅名も変わり、学校の回りも変貌してビックリですよ。~でも、例の一件以来、日大というとイメージ悪‼️
知り合いも大学を聞かれて、「あの日大です。
」と答えているそうな。
六会という地名の由来初めて知りました。
ワタシダ
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急行も止まらない小さな駅にも歴史のドラマが…なんて
ワタシダ
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ワタシダ
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群馬の六合村をむつあいと読んだら、都会人だと言われた。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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というのがまず最初にある事を地元民としては知っているので、日大の教授が「日大は東海大とは違う」みたいに言うのはちょっとオイ待てと言いたくなるエピソードだったり。
もちろん日大の理事サイドと、教授や学生はいずれも当事者でありながら全く立場が違うので、「日大」と大きな枠で語ってしまう事で複雑な思いを持つ当事者もいるのは分かりますし、教授や学生を責めるつもりはありませんが。
ワタシダ
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六会と苅田。
あとは、ふじさわほんまち駅なのに、住所はほんちょうって読んだりとか…
このあたりも記事にしてみてもらえるとおもしろいです!
ワタシダ
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中央林間を小田急の急行が通過し(卒業直後に急行停車とは何たる時の不運か)、東急田園都市線の急行は長津田止まりの時代です。
当然、六会駅を4年間利用しました。その頃から、六会駅の改名の話があり、農学科の教授が
「東海大学は大根の名前を消して、地元の方を落胆させた」
「片や日本大学は地元の方の御意見を尊重し、六会の名前を残し、六会日大前になります」と鼻高々に語っていました。
この教授は長年藤沢市亀井野地区に住んでいたので、六会の由来についても語っていました。先述のコメントにある通りです。
六会の名前が残って良かったと思っていましたが、「日大イラネ」と言われると、卒業生としては複雑です。
ワタシダ
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成城学園前、読売ランド前、玉川学園前、相武台前、東海大学前、六会日大前、だけでは不正解です。
狛江があります。
ワタシダ
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ワタシダ
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私は反対だったので名前を書かずに隣に回しましたが、ご近所さんのほとんどが記名されていた記憶があります。
そうか、あれから20年以上経つんですね。他の方も書いている通り未だに私の中では『六会駅』です。
ワタシダ
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かといって、東京都心の地下鉄新駅が、小竹向原、清澄白河、白金高輪、落合南長崎、溜池山王、、、と長尺化が当たり前、になっているのも困りますが。
ワタシダ
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農獣医学部だったころが懐かしいです。
ワタシダ
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ワタシダ
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にしても、日大湘南キャンパス、多摩大湘南キャンパス、慶応大湘南藤沢キャンパス、湘南工科大と、藤沢よりも湘南の方がブランドなんですね。藤沢急行でなく湘南急行でしたし。
ワタシダ
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地元の出身公立高校でも六会小・中の出身者が多いせいか、あまり地名が消えたという認識は無かったりします。
ワタシダ
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