新年度になり5000形の5060Fが営業運転を開始した小田急において、車両の動きがありました。
少し前から休車となっていた1000形の1754Fに対して、5月12日から機器類の撤去が開始され、廃車になったものとみられます。
1754Fが小田急線上から姿を消すことで、長く続いたワイドドア車の歴史は静かに幕を閉じることとなります。
最後まで残ったのは1754Fでしたが、今回廃車となることが確定的となり、1000形からワイドドア車の編成が消滅することとなります。
ワイドドア車の各編成が廃車となった時期と順番は、以下のとおりです。
1751F:2020年11月
1752F:2021年6月
1753F:2021年7月
1755F:2021年8月
1756F:2021年11月
1754F:2022年5月
クヤ31形の牽引に対応している1751Fが先陣を切って廃車となりましたが、2020年度はこの1編成のみの廃車でした。
2021年度は続々と廃車が行われ、11月までに4編成が廃車となったことで、残るは1754Fの1編成のみとなっていました。
残った1754Fは、最後のワイドドア車として活躍を続けていましたが、2022年3月12日のダイヤ変更以降はほとんど運用に入らず、新年度に入ってからは休車となっていました。
休車から復帰することはなく廃車となり、ワイドドア車はついに小田急線上から姿を消すこととなりました。
側扉の幅を2mにまで広げた姿は、多くの鉄道ファン、利用者を驚かせました。
しかし、考えていたとおりの効果は発揮できず、改造を繰り返しながら今日まで活躍するという歴史をワイドドア車は歩みます。
とにかくエピソードが豊富な車両で、過去に色々な記事を書きましたので、それらの一部をご紹介したいと思います。
全てをご紹介することは不可能なぐらい、ワイドドア車には沢山のエピソードがあります。
本来であればもっと早く廃車になってもおかしくはない車両でしたが、幸運にも改造を繰り返すことで長く使われることとなりました。
決して優秀な車両ではありませんでしたが、試行錯誤を繰り返した時代を象徴する車両であり、歴史の一区切りが近付きつつあるのかもしれませんね。
少し前から休車となっていた1000形の1754Fに対して、5月12日から機器類の撤去が開始され、廃車になったものとみられます。
1754Fが小田急線上から姿を消すことで、長く続いたワイドドア車の歴史は静かに幕を閉じることとなります。
1000形のワイドドア車が消滅へ
2020年に1751Fが廃車となって以降、全6編成が在籍していたワイドドア車は少しずつ廃車が進められてきました。最後まで残ったのは1754Fでしたが、今回廃車となることが確定的となり、1000形からワイドドア車の編成が消滅することとなります。
ワイドドア車の各編成が廃車となった時期と順番は、以下のとおりです。
1751F:2020年11月
1752F:2021年6月
1753F:2021年7月
1755F:2021年8月
1756F:2021年11月
1754F:2022年5月
クヤ31形の牽引に対応している1751Fが先陣を切って廃車となりましたが、2020年度はこの1編成のみの廃車でした。
2021年度は続々と廃車が行われ、11月までに4編成が廃車となったことで、残るは1754Fの1編成のみとなっていました。
残った1754Fは、最後のワイドドア車として活躍を続けていましたが、2022年3月12日のダイヤ変更以降はほとんど運用に入らず、新年度に入ってからは休車となっていました。
休車から復帰することはなく廃車となり、ワイドドア車はついに小田急線上から姿を消すこととなりました。
エピソードが豊富だったワイドドア車
小田急初のステンレス車として登場した1000形に、ラッシュ時の切り札としてワイドドア車が増備されたのは、1991年のことでした。側扉の幅を2mにまで広げた姿は、多くの鉄道ファン、利用者を驚かせました。
しかし、考えていたとおりの効果は発揮できず、改造を繰り返しながら今日まで活躍するという歴史をワイドドア車は歩みます。
とにかくエピソードが豊富な車両で、過去に色々な記事を書きましたので、それらの一部をご紹介したいと思います。
全てをご紹介することは不可能なぐらい、ワイドドア車には沢山のエピソードがあります。
本来であればもっと早く廃車になってもおかしくはない車両でしたが、幸運にも改造を繰り返すことで長く使われることとなりました。
おわりに
小田急の中でも際立つ個性を持っていたワイドドア車が、ついに姿を消すこととなりました。決して優秀な車両ではありませんでしたが、試行錯誤を繰り返した時代を象徴する車両であり、歴史の一区切りが近付きつつあるのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (26)
ろくに調べもせずに当時の流れで安易に製造してしまった。責任は問われずじまい。
1回も営業で使わなかった座席格納機能は無駄な投資だった。車両メーカーの言いなりなんだと思っしまう。
その後の失敗作は、3000型の車幅。複々線で空くからとの理由だったらしいが、これも当時の他社車両の流れに沿い、コスト削減兼ねて決定。その後あの圧迫感に気付いたのか5000型でようやく幅広に戻したわな。
ワタシダ
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最後に乗ったのは去年11月にあった高座渋谷の日雇いバイト帰りの時ですね
ワタシダ
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今となっては殆どの新要素が現在まで継承されずしまい。2000がコケなければなぁ…
ワタシダ
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ワタシダ
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デビューした時はまだ小学生でしたが、よく今まで残ってくれてたな、と率直に感じます。
デカいドア、ちょっと少ない座席、ドア上の液晶の案内表示、側面のLEDの行先表示、パワーウィンドウ。
小学生の自分にはキラキラしたカッコいい電車でした。
1000形ワイドドア車、いままでお疲れさまでした。
そして、さようなら。。
ワタシダ
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私が物心ついたころは箱根湯本行き急行がまだ健在で、1000形ワイドドア車は全て6両となって様々な車両と組んで走っている姿を見せてくれました。それから、6両各停でしか見られなくなったけど、相模大野や小田原、新百合ヶ丘で元気な姿を見たときはうれしくなったものでした。
あの引き残しがあるチャーミングな扉、そして他とは少し違うメカメカしいLED式案内表示機、側面の行先表示、そして特徴的な中間車化改造車、ドアチャイム。そしてクヤ検対応の少し特徴的なスカート。全て私の心に残っています。
美人だった普通扉車と顔は同じでも、何もかもが個性的だったワイドドア車、私は絶対忘れません。
ありがとう、1000形ワイドドア車
ワタシダ
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これで小田急のワイドドア車は2000形と3000形の一部のみとなりましたね。京阪から5000系が引退したことで多扉車も国内の鉄道からは既に姿を消しており(それでもインドネシアでは205系の一部に多く残っております)、いよいよラッシュ対策の装備を搭載した車両もついに終焉の時が迫りつつあると言えるでしょう。
ワタシダ
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2000や3000の一次車、東京メトロ東西線の05の一部や15000に名残を見ることになりますね。
ワタシダ
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廃車が本格化するまで、ワイドドア車にはあまり関心がなかったですが、撮影を重ねて乗り納めもして、悔いはありません。2mあるドアはいつみても「でかいなぁ」と思わせてくれました。
不運な結果となってしまったワイドドア車ですが、長生きしてくれたことに感謝です。
ワタシダ
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