終日に渡って多くの列車が走り、利用者の日常に溶け込んでいる小田急のロマンスカー。
1949年に登場した1910形が初代のロマンスカーとして語られますが、原点には戦前に運転された週末温泉急行という列車がありました。

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戦後にロマンスカーが発展するきっかけともなった週末温泉急行とは、どのような列車だったのでしょうか。

週末温泉急行の登場

1927年4月1日に小田原線を開業させた小田急は、不況の影響で沿線の発展が進まず、苦しい経営を余儀なくされました。
従業員の昇給すら難しい状況の中で、様々な増収策が打ち出される中、新宿から小田原までをノンストップで走る急行列車の運転が始まります。
これが今回ご紹介する週末温泉急行です。

週末温泉急行は1935年6月1日に運行を開始し、クロスシートやトイレがある車両が使用されました。
列車の名前が示すとおり週末にのみ運転される列車で、運転日は土曜日でした。

日曜日には夜に小田原発の急行が設定され、帰宅のための列車も用意されていました。
こちらは主要駅にも停車し、ノンストップではありません。

急行ではあるものの、新宿から小田原までをノンストップで走り、温泉への観光輸送を行ったという点において、今日のロマンスカーの原点ともいえる列車でした。
しかし、太平洋戦争が始まったことで週末温泉急行は運休となり、少ししてダイヤからも完全に消えてしまいました。

週末温泉急行はどんな列車だったのか

新宿から小田原までをノンストップで走る週末温泉急行は、新宿を土曜日の13時55分に出発し、途中駅には停車せず小田原に15時25分に到着するダイヤで、全区間を90分で走破していました。
当時は土曜日にも仕事があったでしょうから、仕事の後に温泉へ行けるという列車でした。
現在の快速急行ぐらいの所要時間ですが、車両の性能が当時と今では異なるため、これでも頑張っていたのでしょう。

面白い取り組みとして、車内ではレコードで沿線案内を流す予定があり、準備が進められました。
沿線案内は、ムーラン・ルージュ新宿座に小田急行進曲と小田急音頭の制作が依頼され、同劇場に在籍する明日待子が吹き込みを担当しましたが、走行中の車内で行ったテストでは早々に針が飛んでしまい、実際に車内で流すことはできずに終わっています。

当時は直接箱根まで到達することはできませんでしたが、都心部から箱根の温泉地に利用客を輸送する列車が、戦前から運転されていたことになります。
列車自体も好評だったようで、戦争によって運行が中止となってしまったものの、戦後にはロマンスカーの発展へと繋がっていくこととなりました。

おわりに

長い歴史の中で、ロマンスカー自体の性格は変化し、現在は日常の利用を重視したダイヤが組まれるようになりました。
役割は多様化したものの、これからも箱根への旅行客を輸送する列車として、ロマンスカーが活躍することを願っています。