5000形が登場したことで、8000形や1000形といった通勤型車両の置き換えが進められている小田急。
現在までに1000形の未更新車は多くが廃車となり、8000形も一部の編成が置き換えられています。

8000形や1000形は晩年を迎えつつあるといえそうですが、既に引退した通勤型車両については、晩年にどのような使われ方をしていたのでしょうか。
小田急においてもそれは例外ではなく、当てはまるケースが過去には多く存在しました。
かなり昔のケースとしては、1900形等のABF車と呼ばれるグループが晩年は支線や各駅停車を中心に使われたほか、1800形も最終的には同様の展開となりました。
2400形も編成数が少なくなると優等列車で走る機会が減少し、最終的には支線や各駅停車を中心に使われるようになります。
2200系列については少し異なり、集まって6両を組むことが可能だったからか、晩年も急行で使われる機会があったものの、やはり最盛期よりは少なくされていました。

2600形以降の大型車については、若干傾向に変化が生じます。
支線や各駅停車を中心に活躍していた2600形は、晩年に運用の都合で箱根登山線に乗り入れる急行にも使われるようになり、最後に活躍の幅が広がる珍しいケースとなりました。
5000形や9000形については、晩年に使われ方が大きく変化するようなことはなく、それまでと同じ使われ方のまま、編成数が減少していくといった動きになりました。
車両性能の統一が進み、ある程度共通した運用を組みやすくなったのが理由といえます。
他の大型車と異なったのが4000形で、箱根登山線に乗り入れることが最後まで禁止されていたため、晩年は6両が目立たない存在となっていました。
8000形についてはまだ本格的な置き換えではないものの、車齢からすればどちらも晩年とは表現できそうです。
両形式に共通していることは、編成によって明暗が分かれているという点です。
既に廃車となった8000形の界磁チョッパ制御車、1000形のワイドドア車については、車両性能の違い等が影響し、支線や各駅停車での限定的な運用に落ち着きました。
現在は1000形の6両が、同様の状態となっています。
その一方で、VVVFインバーター制御に改造された8000形の編成については、現在も10両で優等列車に使用され、第一線での活躍が続いています。
徹底的なリニューアルが行われているとはいえ、今も優等列車が活躍の中心なのは凄いことです。
過去のケースからも分かりますが、古いから支線や各駅停車に集約されるのではなく、何らかの制限が生じてしまう場合や、車両性能の違い等が大きい場合に、限定的な運用とされるのが実際のところでしょう。
編成数が減ってきた場合にどうなるのかは未知数なものの、8000形や1000形の更新車については、多くが最後まで最前線で活躍することになりそうです。
引退するその日まで最前線で活躍できる車両は、とても幸運なのかもしれませんね。
現在までに1000形の未更新車は多くが廃車となり、8000形も一部の編成が置き換えられています。

8000形や1000形は晩年を迎えつつあるといえそうですが、既に引退した通勤型車両については、晩年にどのような使われ方をしていたのでしょうか。
既に引退した通勤型車両の晩年
鉄道会社にもよりますが、晩年の通勤型車両は支線で静かに余生を送るような使い方や、短編成化されるといったケースが多くなってきます。小田急においてもそれは例外ではなく、当てはまるケースが過去には多く存在しました。
かなり昔のケースとしては、1900形等のABF車と呼ばれるグループが晩年は支線や各駅停車を中心に使われたほか、1800形も最終的には同様の展開となりました。
2400形も編成数が少なくなると優等列車で走る機会が減少し、最終的には支線や各駅停車を中心に使われるようになります。
2200系列については少し異なり、集まって6両を組むことが可能だったからか、晩年も急行で使われる機会があったものの、やはり最盛期よりは少なくされていました。

2600形以降の大型車については、若干傾向に変化が生じます。
支線や各駅停車を中心に活躍していた2600形は、晩年に運用の都合で箱根登山線に乗り入れる急行にも使われるようになり、最後に活躍の幅が広がる珍しいケースとなりました。
5000形や9000形については、晩年に使われ方が大きく変化するようなことはなく、それまでと同じ使われ方のまま、編成数が減少していくといった動きになりました。
車両性能の統一が進み、ある程度共通した運用を組みやすくなったのが理由といえます。
他の大型車と異なったのが4000形で、箱根登山線に乗り入れることが最後まで禁止されていたため、晩年は6両が目立たない存在となっていました。
8000形や1000形の晩年
廃車が進められている8000形や1000形については、どのような晩年を過ごしているのでしょうか。8000形についてはまだ本格的な置き換えではないものの、車齢からすればどちらも晩年とは表現できそうです。
両形式に共通していることは、編成によって明暗が分かれているという点です。
既に廃車となった8000形の界磁チョッパ制御車、1000形のワイドドア車については、車両性能の違い等が影響し、支線や各駅停車での限定的な運用に落ち着きました。
現在は1000形の6両が、同様の状態となっています。
その一方で、VVVFインバーター制御に改造された8000形の編成については、現在も10両で優等列車に使用され、第一線での活躍が続いています。
徹底的なリニューアルが行われているとはいえ、今も優等列車が活躍の中心なのは凄いことです。
過去のケースからも分かりますが、古いから支線や各駅停車に集約されるのではなく、何らかの制限が生じてしまう場合や、車両性能の違い等が大きい場合に、限定的な運用とされるのが実際のところでしょう。
編成数が減ってきた場合にどうなるのかは未知数なものの、8000形や1000形の更新車については、多くが最後まで最前線で活躍することになりそうです。
おわりに
現在も多くの編成が優等列車で活躍する8000形や1000形。引退するその日まで最前線で活躍できる車両は、とても幸運なのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (8)
各駅停車8両運転開始に伴い、2600形6両が一部8両化されましたが中間車組み込みではなく編成組み換えで、各駅停車として運転されてました。
その後、8両固定編成は2000形や3000形が新造され、2600形8両は消滅しました。
同じ編成組み換えが1000形ワイドドアでもあり、4両6本(1551F〜1556F)→6両4本(1753F〜1756F)に組み換えられました。
ワタシダ
が
しました
その後、1984年4月頃、新宿寄り2両が2221F、中間の2両は番号失念、小田原寄り2両が2223Fという中型6両の本線各停に、鶴川から新宿まで乗車したのが、私にとって最後の2200系列への乗車だったはずで、その数日前には2221F+2223Fの4両で多摩線運用に就いていたのを見たばかりだったので、驚いたような記憶があります。
ワタシダ
が
しました
1000や8000の 4+6で10連固定として使用されているのをばらされ
6連は末端区間や江ノ島線 多摩線に
4連は 4+4の8連は嫌われるから先行廃車… かな?
箱根線用の数本を除いて……
なんだかんだで4連や6連も止めきれないのだが
今後のこれらに充当すべき物はどうしていくのか………
利用者数も減るなかで 中間運転台のデッドスペース を嫌うばかりでなく
新5000のバリエーションとして 幌でつなげる貫通式先頭車を中に含む4+6を作る?………
ワタシダ
が
しました
8000形の最終増備の赤内装が竣工後しばらく2400形の運用をそのまま持ち替えていたので「多摩線に8000形の新車きたぜ!!」って喜んでいたらあっという間に2400形が多摩線にこなくなった。
超晩年はずっと大野で寝てて、たまに江ノ島各停に入っていた気がするが、最後の2483Fはもう通常営業に入ることないであろうと思われていた1989年3月8日にダイヤが乱れて、大野ー本厚木間で臨時各停に入ったらしく、それが営業最後になったはず。
8000形も予備の予備で最後まで残して、「いつ最終運用になったっけ?」くらいで混乱なく引退してほしい。
ワタシダ
が
しました
9000形や1000形は千代田線直通運用を後継車両に譲り、地上運用に転用されましたし、2600形は箱根登山線乗り入れも実現した一方で、旧4000形は自社線内のみで使用され続けました。
JRや私鉄各社では他線区への転用が多く見られる中、小田急ではこうした転用が少ないことが窺え、ロマンスカーも含めて近年の車両は登場から引退まで第一線で活躍させようという意図が読み取れます。
ワタシダ
が
しました
A運用で特に制限されることなく(片瀬江ノ島-藤沢運用は除く)最後まで走り切りそうですね。
8000形は4+6両でまとまった編成があるので、
よっぽど運転台を挟む10両NGな事案がない限りは今まで通り幅広くA運用からE運用まで入りそうですね。
各車両の最後に関して個人的な希望として、
1000形は本当に最後の1週間程度赤1000形+1000形10両で優等運用に入って終わって欲しいですね。
↑ホームドアやTASCの関係でもう新宿口には入れないんですかね?
8000形は昔からイベントカーとしてカラフルな塗装等されて走っていた時期があるので、
それを再現するなどして最後は走って欲しいかなと思ってます。
しれっと消えるのだけは寂しいのでやめてもらいたいなと。
ワタシダ
が
しました