直通運転をする列車はほぼロマンスカーだけとなり、最盛期に比べると寂しくなった小田急から箱根登山線への乗り入れ。
急行の多くが直通運転をしていた頃を思い出すと、合理化によって両線の関り方が変化したことを実感します。

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昔とは関わり方が変化しつつ、現在も続いている直通運転ですが、開始当初はどのようなものだったのでしょうか。

1950年にスタートした箱根登山線への直通運転

小田急から箱根登山線への直通運転は、1950年8月1日に開始されました。
1982年6月28日に発行されたコミュニケート小田急の13号によると、新宿から直通運転をした最初の列車は、1910形の3両編成による特急のあしがら号でした。
この列車は招待客や関係者を乗せた特別列車だったようで、今では行われないようなスタートの仕方であることに、時代を感じました。

その一方で、箱根登山線内で初めて営業運転を行った車両は異なっており、早朝に運転された小田原発の1600形だったそうです。
この頃から区間運転があったのは驚きですが、これは箱根登山鉄道の車両を複電圧仕様に改造するため、1600形の2編成で代走を行ったことによるもので、現在のように小田急の車両が行き来する時期があったことになります。

直通運転を開始した当初は、特急が1往復(休日や休前日は2往復)、急行が4往復で、かなり小規模なスタートでした。
これは1600形を貸し出したことによる車両の不足や、季節の関係で江ノ島線の輸送力を最大化する必要があったためで、海と山を観光地として抱える小田急らしい悩みがあったようです。
元々は開始当初からもう少し多くの直通運転を行う予定でしたが、このような事情があって暫定的なスタートとなってしまいました。

本来のダイヤとなった後の直通運転

やむを得ず暫定的なスタートとなった直通運転は、2ヶ月後の1950年10月1日に本来のダイヤへと変更されました。
特急は3往復、急行は7往復へと増強されますが、その後に比べればまだまだ小規模なものでした。
当時は小田急で運転されていた列車の本数自体が少ないため、当たり前といえばそうなのかもしれません。

当時の特急型車両は、1910形を改番した2000形の2編成のみであり、ロマンスカーの歴史が始まりつつある頃でした。
急行に使用された車両は主に1900形だったようで、この2形式が戦後の復興期を支える重要な役割を担っていたことがよく分かります。

乗り入れ自体は大成功を収め、新宿から箱根への直通旅客は倍増し、ロマンスカーが発展するベースともなりました。
箱根という観光地自体の発展も、小田急との繋がりがなければ違った結果となっていたのかもしれません。

近年は小田急と箱根登山線の関わり方も変化し、直通運転はロマンスカーを中心としたものになりましたが、引き続き密接な関係が続いています。
現状は観光需要が厳しい状態ですが、以前のような賑わいが戻る日は、少しずつ近付いていることでしょう。

おわりに

今回の記事では、コミュニケート小田急の内容を参考にいたしました。
箱根登山線に大型車が乗り入れるようになる時のものですが、それからも40年近くが経過しており、時間はあっという間に進んでしまうということを実感します。