昔は冷房が装備されていない車両が走っていた、さらに昔は冷房がないことが当たり前だった、全ての車両に冷房が装備されている現代に生きていると、少々信じられないことになりつつあるのかもしれません。
鉄道各社はある時期から競うように冷房車を増やし、順次冷房化率100%を達成していきました。
小田急が冷房化率100%を達成したのは1989年のことですが、それ以前はどのような状況で推移していたのでしょうか。
冷房車になったのはロマンスカーの3000形(SE)でしたが、新造時は非冷房だった車両を改造し、小田急初の冷房車としたものです。
追加で特急料金を徴収するロマンスカーから冷房車にするというのは、当たり前の選択肢だったともいえますが、扉の開閉頻度が高い通勤型車両では冷房の効率が悪いため、特急ならば意味があると考えられていた面もありました。
小田急の通勤型車両における冷房車は、1968年に2400形の1両を改造したのが始まりですが、これは本格的な導入に向けた試験が目的で、データの収集が行われています。
本格的な冷房車の登場は1971年のことで、5000形の3次車が編成単位で初の冷房車となっています。
その後は新造と改造で冷房車が増えていきますが、コミュニケート小田急の61号によると、1986年の夏の時点で冷房化率は83%となっており、大多数が冷房車となっていたことが分かります。
3年後の1989年には100%となっていますから、最後はハイペースで冷房化が進められたといえるでしょう。
新造車は基本的に冷房車とされたほか、2600形以降の大型車については冷房化が進められ、合わせ技で冷房化率を高める対応が行われています。
コミュニケート小田急の61号には、冷房化率の推移も掲載されており、以下のとおりとなっていました。
1979年:57%
1980年:62%
1981年:66%
1982年:68%
1983年:70%
1984年:75%
1985年:78%
1986年:83%
1986年の3年後に100%となったのは前述のとおりですが、3年前の1983年が70%だったことを考えると、やはり最後はペースが上がっているように感じます。
2400形の置き換えを進めつつ、4000形は車両メーカーで一気に冷房化が進められたことで、あっという間に100%へと到達することができたのでしょうね。
当たり前のように冷房が装備された車両が走っていますが、その状況への感謝を決して忘れてはいけないようにも思いました。
鉄道各社はある時期から競うように冷房車を増やし、順次冷房化率100%を達成していきました。
小田急が冷房化率100%を達成したのは1989年のことですが、それ以前はどのような状況で推移していたのでしょうか。
1986年の冷房化率
小田急に初めて冷房車が登場したのは、1962年のことでした。冷房車になったのはロマンスカーの3000形(SE)でしたが、新造時は非冷房だった車両を改造し、小田急初の冷房車としたものです。
追加で特急料金を徴収するロマンスカーから冷房車にするというのは、当たり前の選択肢だったともいえますが、扉の開閉頻度が高い通勤型車両では冷房の効率が悪いため、特急ならば意味があると考えられていた面もありました。
小田急の通勤型車両における冷房車は、1968年に2400形の1両を改造したのが始まりですが、これは本格的な導入に向けた試験が目的で、データの収集が行われています。
本格的な冷房車の登場は1971年のことで、5000形の3次車が編成単位で初の冷房車となっています。
その後は新造と改造で冷房車が増えていきますが、コミュニケート小田急の61号によると、1986年の夏の時点で冷房化率は83%となっており、大多数が冷房車となっていたことが分かります。
3年後の1989年には100%となっていますから、最後はハイペースで冷房化が進められたといえるでしょう。
小田急における冷房化率の推移
通勤型車両に冷房車が登場して以降、小田急の冷房化率は年々上昇することとなりました。新造車は基本的に冷房車とされたほか、2600形以降の大型車については冷房化が進められ、合わせ技で冷房化率を高める対応が行われています。
コミュニケート小田急の61号には、冷房化率の推移も掲載されており、以下のとおりとなっていました。
1979年:57%
1980年:62%
1981年:66%
1982年:68%
1983年:70%
1984年:75%
1985年:78%
1986年:83%
1986年の3年後に100%となったのは前述のとおりですが、3年前の1983年が70%だったことを考えると、やはり最後はペースが上がっているように感じます。
2400形の置き換えを進めつつ、4000形は車両メーカーで一気に冷房化が進められたことで、あっという間に100%へと到達することができたのでしょうね。
おわりに
世界情勢の変化もあり、エネルギーの大切さを実感する今日この頃ですが、温暖化によって暑くなった日本の夏において、冷房がない状況は厳しいものがあるのも現実です。当たり前のように冷房が装備された車両が走っていますが、その状況への感謝を決して忘れてはいけないようにも思いました。
コメント
コメント一覧 (10)
4000形は将来冷房化することを考慮した設計だったのでしょうか。国鉄通勤車両103系には冷房準備仕様というのが有りました。
冷房装置は小型軽量化が進んで当初は冷房装置搭載を考慮していなかった車両にも屋根上冷房装置が設置された場合があるようです。2478はこれに相当するかもしれません。
ワタシダ
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しかし、いま思えば懐かしいですな・・そういうのを未だに憶えているのだから。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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2400系の窓、上下全開-フルスピード走行時はちょっと怖かったですが、真夏には普通のことでしたし、またそれはそれで爽快ではありましたし、同時期の京急ほどのものはありませんでした。知人が帽子を飛ばされたことを思い出しました。
どれも半世紀ほど前のことです。時は過ぎ快適な時代になったんでしょうね。
ワタシダ
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ワタシダ
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試験車両2478が来ると嬉しかったです。
5000形の運転室後ろの冷房吹出口は、寒いくらいで天国でした。
冷房と非冷房の編成が来ると、それはもう・・・
営団6000が来るとガッカリしました。
冷房導入の頃の思い出です。
ワタシダ
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その後、関東初の冷房車として京王旧5000系(1968年に小田急でクハ2478に冷房が搭載されたのと時同じくして増備されたグループ)が登場したことで通勤型車両にも波及しました。
こうして鉄道車両における冷房が普及した訳ですが、小田急も漏れずに1970年代から1980年代にかけて車両の新造や改造によって地道に冷房化を進めたことで冷房化率を高め、夏場の涼しくて快適な車内を提供することに成功しました。季節の変化に応じて車内の寒暖差に対応できる鉄道車両の冷暖房装置も今や乗客にとってはとてもありがたい存在ですね。
ワタシダ
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そう言った意味でも1000形ワイドドア車の妻窓がパワウィンドーだったのってすごい違和感がありますよね…
ワタシダ
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