電機子チョッパ制御等の新技術を採用し、1971年に営業運転を開始した東京メトロ(当時は営団地下鉄)の6000系。
小田急にも長年に渡って直通運転を行い、準急や多摩急行で走る姿が日常的に見られました。

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6000系は活躍期間が長い車両でもありましたが、小田急には何年間直通運転を行ったのでしょうか。

千代田線の主役として活躍した6000系

東京メトロの千代田線は1969年12月20日に開業した路線で、当初は大手町から北千住までの部分開業でのスタートでした。
開業当初は5000系のみで運行されましたが、1971年に6000系が登場したことで主役は交代し、1981年に5000系が東西線へと転属したことで、千代田線は北綾瀬支線を除いて6000系に統一されました。

こうして1形式だけで運行されるようになった千代田線ですが、相互直通運転先となる国鉄や小田急の車両が混ざり、6000系自体にも製造年次によるバリエーションがあったため、走行する車両は意外と賑やかでした。
1993年には千代田線用の車両として06系が加わるものの、6000系が圧倒的な多数派であることは変わらず、06系の希少さが際立つ結果となっています。

更新工事をしながら大切にされた6000系でしたが、2010年に16000系が営業運転を開始したことで初の廃車が発生、その後は急速に数を減らすこととなり、2018年に惜しまれつつ営業運転を終了しました。
営業運転での活躍期間は47年にも及び、千代田線といえば6000系というイメージを強く印象付けた車両となりました。
引退後はインドネシアに渡った車両が多く、現在も海外での活躍が続いています。

6000系は何年間小田急に直通運転をしたのか

活躍期間が長かった6000系ですが、小田急にはどれぐらい直通運転をしたのでしょうか。
小田急が9000形、1000形、4000形と車両を変えていく中で、6000系はそれらの全ての車両と共演しており、それだけ活躍期間が長かったことを物語っています。

6000系が小田急への直通運転を開始した日、それは小田急との相互直通運転が開始された日でした。
1978年3月31日のことであり、現在の小田急では最古参となっている8000形すら登場していない、そんな時代でした。

それ以来、準急で代々木上原から本厚木までを走る日々が続き、多摩急行の登場後は活躍の舞台を多摩線へと変えながら、相互直通運転の主役として活躍を続けます。
2010年の廃車開始後も直通運転は続きますが、小田急の列車無線がデジタル化されることに伴い、2017年5月12日を最後に乗り入れから撤退することとなりました。



6000系が小田急に直通運転を行った期間は約39年で、長生きをする車両の車齢と同じぐらいの長期間でした。
登場直後から直通運転を行っていないにもかかわらずこの期間ですから、それだけ長生きをした車両だというのも分かりますね。

おわりに

今でも走ってきそうなぐらい、小田急線内でも当たり前の存在だった6000系。
千代田線との相互直通運転を語るうえでも、小田急にとっては忘れられない車両となっています。