1000形の後継形式として、1995年に登場した小田急の2000形。
当初から8両や10両の固定編成を前提としたことで、それまでとは考え方を改めた部分が多くあり、小田急の通勤型車両における転換点に位置する車両でもあります。
古い車両が在籍する中で登場した2000形は、小田急のファンである私にどのようなわくわく感を与えてくれたのでしょうか。
1000形までの車両はその前提に伴う制約があり、電磁直通ブレーキという一世代前のブレーキ方式を用いたり、8両や10両を組むことがほとんどながら、4両や6両で増備せざるを得ない状況でした。
ステンレスの車体となったことで、見た目のインパクトがあった1000形は、細部に目を向けると保守的な姿勢が目立ち、小田急らしさが沢山詰まった車両でもありました。
増備の最中においても、当時の事情が色濃く反映されていることが特徴で、様々なバリエーションが生まれています。
それらの反省点を改善したのが2000形であり、思いきった変更が行われた車両となっています。
扉幅を広げすぎたこと、従来車との互換性を追求しすぎたこと、それらの課題を解決して登場したのが2000形だったといえるでしょう。
外見は1000形に似ているものの、テーマとして「やさしさ」が打ち出され、細部の情報を確認していく過程で、1000形と2000形は似て非なる車両なのだと理解しました。
どこかに小田急らしさを残しつつ、それまでの車両とは明らかに異なる様々な要素が盛り込まれた車両は、良い方向への正統進化を感じさせてくれました。
2編成しか走っていないという希少性もあり、登場時は見かけるとかなり嬉しい車両だったことをよく覚えています。
2000形がこれからの小田急なのだと期待したものの、残念ながら結果は現状のとおりです。
登場後に積極的な増備が行われることはなく、最後に2600形をまとめて置き換えることで増えたものの、2000形は72両という少数派となりました。
続いて登場した3000形は、様々な制約によって違う進化をしており、そういう面で残念に感じた部分があったのは間違いありません。
わくわく感で期待が大きかったこともあり、増備が進まないことに対して毎年のように落胆したことを覚えています。
現在増備されている5000形は、良い方向に思いきったという点で2000形に近いわくわく感があり、昔と同じ残念な結末に至らないことを願うばかりです。
当初から8両や10両の固定編成を前提としたことで、それまでとは考え方を改めた部分が多くあり、小田急の通勤型車両における転換点に位置する車両でもあります。
古い車両が在籍する中で登場した2000形は、小田急のファンである私にどのようなわくわく感を与えてくれたのでしょうか。
併結を前提としないことで実現した伝統からの脱却
途中駅での分割併合が頻繁に行われていた小田急では、異なる形式の車両を繋いで走らせるために、搭載する機器や性能を統一する必要が生じていました。1000形までの車両はその前提に伴う制約があり、電磁直通ブレーキという一世代前のブレーキ方式を用いたり、8両や10両を組むことがほとんどながら、4両や6両で増備せざるを得ない状況でした。
ステンレスの車体となったことで、見た目のインパクトがあった1000形は、細部に目を向けると保守的な姿勢が目立ち、小田急らしさが沢山詰まった車両でもありました。
増備の最中においても、当時の事情が色濃く反映されていることが特徴で、様々なバリエーションが生まれています。
それらの反省点を改善したのが2000形であり、思いきった変更が行われた車両となっています。
扉幅を広げすぎたこと、従来車との互換性を追求しすぎたこと、それらの課題を解決して登場したのが2000形だったといえるでしょう。
2000形がデビューした際のわくわく感
広報誌や駅に掲示されたポスターだったでしょうか、2000形の登場を知った際のわくわく感は忘れられません。外見は1000形に似ているものの、テーマとして「やさしさ」が打ち出され、細部の情報を確認していく過程で、1000形と2000形は似て非なる車両なのだと理解しました。
どこかに小田急らしさを残しつつ、それまでの車両とは明らかに異なる様々な要素が盛り込まれた車両は、良い方向への正統進化を感じさせてくれました。
2編成しか走っていないという希少性もあり、登場時は見かけるとかなり嬉しい車両だったことをよく覚えています。
2000形がこれからの小田急なのだと期待したものの、残念ながら結果は現状のとおりです。
登場後に積極的な増備が行われることはなく、最後に2600形をまとめて置き換えることで増えたものの、2000形は72両という少数派となりました。
続いて登場した3000形は、様々な制約によって違う進化をしており、そういう面で残念に感じた部分があったのは間違いありません。
わくわく感で期待が大きかったこともあり、増備が進まないことに対して毎年のように落胆したことを覚えています。
おわりに
生まれた時代が悪かった、2000形にはそんなことを思います。現在増備されている5000形は、良い方向に思いきったという点で2000形に近いわくわく感があり、昔と同じ残念な結末に至らないことを願うばかりです。
コメント
コメント一覧 (22)
ワイドドアにしたから座席が減りましたなんて、サービスを犠牲にして会社の論理を押し通す象徴だろう。この姿勢が、最悪の車両3000系を生み出したのかもしれない。
小田急の持ち味だった鉄道会社屈指のサービス精神は、この系統で確定した小田急カラー消滅とともになくなったのだろう。
ワタシダ
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3000形ⅡはJR209系ほどまでではなくとも、あからさまに低コストに振りすぎた感は拭えないので2000形はもう少し編成パターンも8両固定オンリーではなく10両固定編成等も数本、といった具合に増備されてほしかったかなと思います。
5000形Ⅱも、計12編成の陣営になるところまでは確約されたものの、迷惑な世界情勢に左右され半導体不足による製作元での納期延期等は避けられないようで···。せめてあと3編成、計15編成までは揃ってほしいと個人的には望んでますが、コスト削減観点で叶いそうにないのが残念ですな。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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車体の設計からそれほど経っていなかった、試験的な要素なので他は変更しなかった、不況の煽りを受けていた、21世紀にモデルチェンジをとっておきたかった、理由は様々に考えられます。
しかし、どの車両も後の車両に引き継がれている点がありワクワクを感じられますね。
ワタシダ
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ダイヤ改正前日に新宿地下で見た2053Fもやはり8両だったのだろうか?前面だけだったから良くわからなかった。
ワタシダ
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登場の存在は知っていましたが当時県西地区に住んでいたので見かけることのない無縁な存在でした。
たまに新宿方面に出掛けても急行を利用するので本当に乗る機会もなければ見ることすらなかった幻の車両でした。
ある時、親と相模大野に行った帰りに急行を待っていたら先発でたまたま各停の2000形が来て、
「これ、乗りたい!!」って頼み込んで乗った記憶があります。
これが自分の2000形の思い出です。
で、そこから30年近く経った今では毎日のように見てますけどね(笑)
当時の興奮が懐かしいです。まだ鮮明に覚えてます。
ワタシダ
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その帰りは1253Fで、種別と行先が幕式!
運転室にそれらを設定するためのダイヤルなんかあって、こういう懐かしい車両に出会えるのでまたワクワク!次はいつ出会えるかな?
ワタシダ
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その2000形も元々は千代田線乗り入れを前提とした設計やったのですが、あらゆる事情が複雑に絡み合い結局は六日の菖蒲となってしまったのが残念やったのかもしれませんね。そうした面からも分かる通り、1000形ワイドドア車の二の舞い(と言ったら過言かもしれませんが)とも噂されとる珍車でもあります。ただ、ワイドドアについてはホームドアにも問題なく対応しとりますし、ドア幅を狭くしたことで他の車両と着席定員を合わせたのは反省点として活かされとります。
さて、そんな2000形もリニューアルの対象外とされとるようですが、これからもよほど大規模な改造をしない限り現状維持の状態が続くのかもしれませんね。
ワタシダ
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1000形で通勤車としては番号が昔の番号に回帰して先頭車にHB車やABF車と同じ番号が使われ始めましたが、見慣れた"2451"を目にしたときは個人的にインパクト大でした。
ワタシダ
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