新宿から御殿場まで、JR東海の御殿場線への乗り入れを行っている小田急のふじさん号。
少し前まではあさぎり号という列車で、現在は60000形(MSE)がその役目を担っています。

車両や乗り入れの形態、列車名を変えて今日まで続いてきた御殿場線への乗り入れは、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

気動車から電車へ

小田急から御殿場線への乗り入れは、1955年10月1日に始まりました。
今から約67年も前のことで、途切れることなく現在まで脈々と続いています。

当然のことながら、乗り入れ開始当初の御殿場線は国鉄の路線でしたが、非電化の路線であるという点も今とは大きく異なっていました。
全線が電化されている小田急から、非電化の御殿場線に乗り入れを行うにあたり、小田急は気動車(ディーゼルカー)を用意して乗り入れを行うこととし、小田急線内の架線の下を気動車が走る光景が見られるようになります。

乗り入れの開始に合わせて造られたのはキハ5000形で、当初は1日に2往復が設定され、土休日等の多客時には2両での運転が行われました。
後にキハ5100形を加え、小田急の気動車は4両の体制となりますが、御殿場線の電化により役目を終え、乗り入れは電車化されることとなります。
小田急で気動車が活躍した期間は約13年であり、それほど長くはありませんでした。

御殿場線の電化が行われたことで、1968年7月1日から乗り入れの役目を担うことになったのは、ロマンスカーが大きく発展するきっかけとなった3000形(SE)でした。
乗り入れにあたっては、編成の短縮や御殿場線の連続勾配に備えた改造が行われ、SEは大きく姿を変えることとなりました。
気動車の時代から変わらなかったこととしては、御殿場線内も小田急の乗務員が担当し、車両と人がそのまま乗り入れる形態となっていることで、今とは異なる面白い部分でした。

SEによる乗り入れは長く続き、時代が昭和から平成になろうとする時点でも、変わらずに続いていました。
しかし、国鉄が分割民営化されたことで御殿場線にも変化の時代が到来し、SEは御殿場線への乗り入れから退くこととなります。

あさぎり号からふじさん号へ

約23年間、SEによって行われた御殿場線への乗り入れは、1991年3月16日に大きな転機を迎えます。
小田急から一方的に行われていた乗り入れは、運転区間を沼津まで延長、小田急が20000形(RSE)、JR東海が371系を新造し、相互直通運転に発展することとなりました。
乗務員も松田で交代するようになり、小田急の運転士が御殿場線内でハンドルを握る光景は、過去のものとなったのです。

新しく豪華な車両で行われるようになった乗り入れは、結果的にあさぎり号が最も華やかだった時期となるものの、バブル崩壊後の利用率低迷という困難にも直面することとなります。
利用率を大きく回復させることはかなわず、車両の老朽化が目立ち始めたこともありRSEと371系は引退し、2012年3月17日からはMSEが乗り入れの役目を受け継ぐこととなり、RSEと371系による相互直通運転は約21年で幕を下ろしました。

MSEへの交代にあたり、相互直通運転は再び小田急からの片乗り入れに戻され、運転区間も御殿場までに短縮されました。
SEの時代に逆戻りした状態とはなりましたが、乗務員は松田で交代をしており、その点は以前と異なっています。

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2018年3月17日には、長く続いてきたあさぎり号という愛称を変更し、新たにふじさん号としました。
インバウンド等に向けて、列車の認知度向上を狙ったものと思われ、基本的には列車名の変更のみとなっています。
引き続き乗り入れの役目はMSEが担っており、現在の体制となってからは約10年、まだしばらくは今の状態が続くのでしょうか。

おわりに

時代に合わせて変化をしつつ、今日まで続いている小田急から御殿場線への乗り入れ。
利用率の面では心配なこともありますが、せっかくの列車を活かす方法を考え、これからも長く続いてくれることを願うばかりです。