久し振りの新型ロマンスカーとして、1980年に登場した小田急の7000形(LSE)。
3100形(NSE)以来、約18年ぶりに登場した新型車両に、当時の鉄道ファンは盛り上がりました。

20180407_01

そんなLSEですが、1982年12月に国鉄の東海道本線上で高速試験が行われています。
私鉄の車両が国鉄線上を走るという珍しいできごとですが、なぜこのような試験が行われたのでしょうか。

東海道本線を走った小田急のLSE

まだLSEが新車だった1982年の11月から12月にかけて、国鉄の183系と小田急のLSEを使用した高速試験が実施されました。
試験は東海道本線の大船から熱海の間で行われ、回送では来宮まで入線しています。

当時の小田急では、国鉄の御殿場線への乗り入れ実績はあるものの、それは3000形(SE)で行われており、LSEが国鉄線上を走るのは極めて珍しいことでした。
この試験は国鉄側の要望で行われ、約1,000万円で7002Fが貸し出されました。

試験走行にあたっては、国鉄と小田急の運転士がペアで乗務し、130km/hでの高速走行が行われています。
130km/hでの走行は、大磯から国府津にかけての直線区間で行われ、同時に行われた曲線部での試験には、真鶴から湯河原の半径400mのカーブが使われました。

試験車両となる7002Fには、小田急の大野工場で測定用の機器等が取り付けられ、国鉄へと貸し出されています。
乗務員の訓練等を経て、12月10日から15日にかけてLSEを用いた試験走行を実施、各種データの収集が行われました。

高速試験が行われた理由

小田急からわざわざLSEを借りてまで、国鉄が試験を行った理由は何だったのでしょうか。
現代よりは他社の車両が走行するハードルは低そうですが、入念な準備が必要であったことは間違いありません。

当時の国鉄では、自動車や航空機の台頭で競争力が落ちてきており、その対抗策として130km/hで走行するスーパー特急の開発を進めていました。
120km/hが当時の在来線での最高速度でしたが、これを上回る高速走行でイメージアップを図る計画で、1986年度に新型車両を登場させることを目指していました。
国鉄の財政事情は厳しく、線路等の地上設備を改良することが現実的ではないことから、車両のみを改良して高速走行を実現する計画でした。

高速走行を可能とする車両を開発するにあたっては、フランスのTGV等が連接台車を採用していることから、ボギー車と連接車のどちらを採用するのが適切なのか、そのための比較を行うことがこの試験の目的でした。
そこで選ばれたのが高速性能を持つLSEで、183系と同一条件で走行した場合の比較が行われたのです。

試験の結果は、連接車の導入を決定するほどの優位性は認められず、国鉄で本格的に連接車を導入することはありませんでした。
新型特急自体の開発も遅れ、130km/hでの走行はJR東日本の651系の登場を待つこととなりました。

おわりに

国鉄の線路の上をLSEが高速走行するという珍事には、将来的なスーパー特急の開発が絡んでいました。
スーパー特急という表現に古さを感じますが、その後の多種多様な車両の登場に、この試験は繋がっていったのでしょうね。