現在は1,000両を超える旅客車両を保有し、東京都から神奈川県に路線網を広げている小田急線。
戦前から戦後にかけては沿線の人口が少なく、保有する車両の数も今とは比較にならないほど少ない鉄道会社でした。
10両編成の車両が当たり前に走るようになった小田急では、保有する車両数がどのように増加してきたのでしょうか。
1,000両以上が在籍する現在では考えられない両数ですが、それでまかなえていたことになります。
年度ごとの保有車両数を調べてみたところ、1948年度以降の記録がまとまりましたので、縦に長くなりますがお付き合い下さい。
モノレールと事業用車を抜いた場合の、各年度末時点の保有車両数は以下のとおりとなります。
1948年度(昭和23年度):100両
1949年度(昭和24年度):110両
1950年度(昭和25年度):116両
1951年度(昭和26年度):122両
1952年度(昭和27年度):128両
1953年度(昭和28年度):147両
1954年度(昭和29年度):155両
1955年度(昭和30年度):161両
1956年度(昭和31年度):171両
1957年度(昭和32年度):214両
1958年度(昭和33年度):235両
1959年度(昭和34年度):244両
1960年度(昭和35年度):272両
1961年度(昭和36年度):280両
1962年度(昭和37年度):338両
1963年度(昭和38年度):388両
1964年度(昭和39年度):418両
1965年度(昭和40年度):460両
1966年度(昭和41年度):501両
1967年度(昭和42年度):531両
1968年度(昭和43年度):547両
1969年度(昭和44年度):555両
1970年度(昭和45年度):570両
1971年度(昭和46年度):610両
1972年度(昭和47年度):626両
1973年度(昭和48年度):650両
1974年度(昭和49年度):654両
1975年度(昭和50年度):656両
1976年度(昭和51年度):659両
1977年度(昭和52年度):683両
1978年度(昭和53年度):695両
1979年度(昭和54年度):701両
1980年度(昭和55年度):732両
1981年度(昭和56年度):761両
1982年度(昭和57年度):797両
1983年度(昭和58年度):822両
1984年度(昭和59年度):842両
1985年度(昭和60年度):850両
1986年度(昭和61年度):851両
1987年度(昭和62年度):877両
1988年度(昭和63年度):879両
1989年度(昭和64年度・平成元年度):939両
1990年度(平成2年度):985両
1991年度(平成3年度):989両
1992年度(平成4年度):1,027両
1993年度(平成5年度):1,022両
1994年度(平成6年度):1,035両
1995年度(平成7年度):1,055両
1996年度(平成8年度):1,042両
1997年度(平成9年度):1,040両
1998年度(平成10年度):1,048両
1999年度(平成11年度):1,045両
2000年度(平成12年度):1,042両
2001年度(平成13年度):1,040両
2002年度(平成14年度):1,046両
2003年度(平成15年度):1,066両
2004年度(平成16年度):1,066両
2005年度(平成17年度):1,062両
2006年度(平成18年度):1,066両
2007年度(平成19年度):1,102両
2008年度(平成20年度):1,102両
2009年度(平成21年度):1,097両
2010年度(平成22年度):1,083両
2011年度(平成23年度):1,073両
2012年度(平成24年度):1,061両
2013年度(平成25年度):1,054両
2014年度(平成26年度):1,054両
2015年度(平成27年度):1,064両
2016年度(平成28年度):1,074両
2017年度(平成29年度):1,083両
2018年度(平成30年度):1,072両
2019年度(平成31年度・令和元年度):1,090両
2020年度(令和2年度):1,086両
年度ごとの推移はこのような結果となり、基本的には右肩上がりで増え続け、1,000両を超えたあたりからは横ばいに近い状態なりつつ、年度によって増減しています。
今後は減便の影響で保有車両数を減らす可能性があり、1,100両を超えることはもうないのかもしれません。
そのようなタイミングにはきっかけがあり、なぜそうなったのかが見えてきました。
最初に増加が目立ち始めるのはいつなのかを見ていくと、1957年度から始まっていることが分かります。
この頃は3000形(SE)や2400形の登場が続き、小田急の利用者が一気に増加し始める時期でした。
1960年代の前半に顕著な増加を見せた後、後半には増加のペースがゆるやかになりますが、これは古い車両の機器を流用して4000形を増備するようになったためで、廃車と新造が同時に行われていました。
その後はあまりペースを変えずに、車両を増やし続けることとなりますが、1989年度に大きく増加するタイミングがあります。
これは10000形(HiSE)と1000形が同時に増備された影響で、長編成化をきっかけとして、保有車両数が現在の水準に駆け上がっていく時期でした。
平成以降の時代になると、あまり大きくは変動しないようになりますが、連接車が減って車両自体は大型化しているため、編成長という面では長くなっています。
車両運用の効率化も進み、中長期的にはある程度まで少しずつ減っていくのかもしれませんね。
今後は大きく増えることはないと思われますが、利用者数の減少や効率化で、最終的にどの程度まで整理されていくのかも気になるところです。
戦前から戦後にかけては沿線の人口が少なく、保有する車両の数も今とは比較にならないほど少ない鉄道会社でした。
10両編成の車両が当たり前に走るようになった小田急では、保有する車両数がどのように増加してきたのでしょうか。
年度別保有車両数の推移
戦後間もない頃の小田急は、100両前後の車両しか保有していない鉄道会社でした。1,000両以上が在籍する現在では考えられない両数ですが、それでまかなえていたことになります。
年度ごとの保有車両数を調べてみたところ、1948年度以降の記録がまとまりましたので、縦に長くなりますがお付き合い下さい。
モノレールと事業用車を抜いた場合の、各年度末時点の保有車両数は以下のとおりとなります。
1948年度(昭和23年度):100両
1949年度(昭和24年度):110両
1950年度(昭和25年度):116両
1951年度(昭和26年度):122両
1952年度(昭和27年度):128両
1953年度(昭和28年度):147両
1954年度(昭和29年度):155両
1955年度(昭和30年度):161両
1956年度(昭和31年度):171両
1957年度(昭和32年度):214両
1958年度(昭和33年度):235両
1959年度(昭和34年度):244両
1960年度(昭和35年度):272両
1961年度(昭和36年度):280両
1962年度(昭和37年度):338両
1963年度(昭和38年度):388両
1964年度(昭和39年度):418両
1965年度(昭和40年度):460両
1966年度(昭和41年度):501両
1967年度(昭和42年度):531両
1968年度(昭和43年度):547両
1969年度(昭和44年度):555両
1970年度(昭和45年度):570両
1971年度(昭和46年度):610両
1972年度(昭和47年度):626両
1973年度(昭和48年度):650両
1974年度(昭和49年度):654両
1975年度(昭和50年度):656両
1976年度(昭和51年度):659両
1977年度(昭和52年度):683両
1978年度(昭和53年度):695両
1979年度(昭和54年度):701両
1980年度(昭和55年度):732両
1981年度(昭和56年度):761両
1982年度(昭和57年度):797両
1983年度(昭和58年度):822両
1984年度(昭和59年度):842両
1985年度(昭和60年度):850両
1986年度(昭和61年度):851両
1987年度(昭和62年度):877両
1988年度(昭和63年度):879両
1989年度(昭和64年度・平成元年度):939両
1990年度(平成2年度):985両
1991年度(平成3年度):989両
1992年度(平成4年度):1,027両
1993年度(平成5年度):1,022両
1994年度(平成6年度):1,035両
1995年度(平成7年度):1,055両
1996年度(平成8年度):1,042両
1997年度(平成9年度):1,040両
1998年度(平成10年度):1,048両
1999年度(平成11年度):1,045両
2000年度(平成12年度):1,042両
2001年度(平成13年度):1,040両
2002年度(平成14年度):1,046両
2003年度(平成15年度):1,066両
2004年度(平成16年度):1,066両
2005年度(平成17年度):1,062両
2006年度(平成18年度):1,066両
2007年度(平成19年度):1,102両
2008年度(平成20年度):1,102両
2009年度(平成21年度):1,097両
2010年度(平成22年度):1,083両
2011年度(平成23年度):1,073両
2012年度(平成24年度):1,061両
2013年度(平成25年度):1,054両
2014年度(平成26年度):1,054両
2015年度(平成27年度):1,064両
2016年度(平成28年度):1,074両
2017年度(平成29年度):1,083両
2018年度(平成30年度):1,072両
2019年度(平成31年度・令和元年度):1,090両
2020年度(令和2年度):1,086両
年度ごとの推移はこのような結果となり、基本的には右肩上がりで増え続け、1,000両を超えたあたりからは横ばいに近い状態なりつつ、年度によって増減しています。
今後は減便の影響で保有車両数を減らす可能性があり、1,100両を超えることはもうないのかもしれません。
保有車両数が増加したタイミング
ある程度は右肩上がりで増え続けているものの、特徴的なタイミングがいくつか存在します。そのようなタイミングにはきっかけがあり、なぜそうなったのかが見えてきました。
最初に増加が目立ち始めるのはいつなのかを見ていくと、1957年度から始まっていることが分かります。
この頃は3000形(SE)や2400形の登場が続き、小田急の利用者が一気に増加し始める時期でした。
1960年代の前半に顕著な増加を見せた後、後半には増加のペースがゆるやかになりますが、これは古い車両の機器を流用して4000形を増備するようになったためで、廃車と新造が同時に行われていました。
その後はあまりペースを変えずに、車両を増やし続けることとなりますが、1989年度に大きく増加するタイミングがあります。
これは10000形(HiSE)と1000形が同時に増備された影響で、長編成化をきっかけとして、保有車両数が現在の水準に駆け上がっていく時期でした。
平成以降の時代になると、あまり大きくは変動しないようになりますが、連接車が減って車両自体は大型化しているため、編成長という面では長くなっています。
車両運用の効率化も進み、中長期的にはある程度まで少しずつ減っていくのかもしれませんね。
おわりに
40年程度をかけて、小田急の車両数は100両からの10倍となる1,000両を超え、多少の変動をしつつ今日に至っています。今後は大きく増えることはないと思われますが、利用者数の減少や効率化で、最終的にどの程度まで整理されていくのかも気になるところです。
コメント
コメント一覧 (2)
同年度に動きのなかった形式は、2200系列46両、2400形116両、2600形132両、4000形92両、5000形(4両編成)60両、9000形90両、3000形(SE)30両、3100形(NSE)77両で、これらを合計すると、643両になります。
同年度に増備が進んでいた形式は、5000形6両編成(通称5200形)と7000形(LSE)で、このうち、7000形は、2編成22両が登場していました。前述の643両に、この22両を足すと、665両になります。
5000形6両編成の製造年は、私の記憶では、5265Fが1981年で、5266Fが1982年だったはずです。この記憶に基づいて、1981年度末には5000形6両編成が15編成(90両)在籍していたと想定して、前述の665両に90両を足すと、755両となり、記事にある761両よりも6両少なくなります。そこで、5266Fが、暦年では1982年、かつ、年度では1981年度となる、1982年1月〜3月の間に製造されて入籍していたと考えれば、1981年度末時点での5000形6両編成の在籍数が16編成(96両)となり、記事の数字と在籍数が一致します。
車内の銘板を見て、編成ごとの製造年を覚えていても、暦年と年度のどちらで区切るかによって、1月〜3月の扱いが異なってくることを実感しました。
ワタシダ
がしました
各列車の速達化によってより効率的な運用が出来るようになったということですよね。
複々線の効果を改めて感じます。
ワタシダ
がしました