通勤型車両では行われなくなり、現在はロマンスカーでのみ行われている小田急の分割併合。
かつてはほとんどの急行列車で分割併合が行われていたほどでしたが、2012年のダイヤ改正をもって完全に廃止されました。
分割併合が行われる駅は、最終的に新松田が中心となりましたが、この運用にはどのような利点があったのでしょうか。
分割併合と呼ばれたこの運用方法は、現在もロマンスカーで見ることができますが、通勤型車両では過去のものとなっています。
時期により分割併合のパターンは変わっており、中心となる実施駅も移り変わっています。
元々は相模大野が分割併合の中心地で、小田原線については1992年から海老名での実施が増加、2002年からは新松田に変わりました。
2002年は湘南急行が誕生した年であり、既に全線で10両の運転が可能な状況とはなっていましたが、分割併合は残っている状況でした。
全線で10両の運転が可能な状況においても、分割併合が残ることとなった理由には、箱根登山線に10両が入線できなかったことが関係しています。
しかし、分割併合を新松田で行うこと自体にメリットもあったため、この時期の小田急は意外と利用しやすいダイヤが組まれていました。
現在のダイヤで課題となっている部分もカバーしており、先頭車が沢山必要となることや、ダイヤが乱れた際の影響さえ無視すれば、とても利点が多いダイヤとなっていました。
新松田で分割併合が行われていた時期の基本的なパターンは、新宿から新松田までを10両の急行で運転し、新松田で切り離しを行います。
前の6両は急行のまま箱根湯本まで行き、後ろの4両は各駅停車の小田原行きとなります。
折り返しは小田原発の4両が各駅停車で新松田に先着し、後ろに箱根湯本からの急行を増結して新宿に戻っていました。
この運用の良いところは、箱根登山線に6両の列車を直通運転できていた点で、混雑する時期に今よりも車両の余裕がありました。
小田急線内での輸送力も効率化できており、新松田までは10両での運転だったことから、現在の6両急行で生じる混雑はありませんでした。
新松田から小田原までの各駅停車は4両となってしまいますが、新宿方面との乗り換えをしなくてよいことや、新松田で折り返し運転をする際の煩雑さも回避できるため、よく考えられていたように思います。
運用の効率化は図られましたが、利用者としては昔のほうが使いやすかったかもしれませんね。
かつてはほとんどの急行列車で分割併合が行われていたほどでしたが、2012年のダイヤ改正をもって完全に廃止されました。
分割併合が行われる駅は、最終的に新松田が中心となりましたが、この運用にはどのような利点があったのでしょうか。
最終的に新松田駅が中心となった分割併合
小田急の急行といえば、途中駅で連結をしたり、切り離しをするのが当たり前という時代がありました。分割併合と呼ばれたこの運用方法は、現在もロマンスカーで見ることができますが、通勤型車両では過去のものとなっています。
時期により分割併合のパターンは変わっており、中心となる実施駅も移り変わっています。
元々は相模大野が分割併合の中心地で、小田原線については1992年から海老名での実施が増加、2002年からは新松田に変わりました。
2002年は湘南急行が誕生した年であり、既に全線で10両の運転が可能な状況とはなっていましたが、分割併合は残っている状況でした。
全線で10両の運転が可能な状況においても、分割併合が残ることとなった理由には、箱根登山線に10両が入線できなかったことが関係しています。
しかし、分割併合を新松田で行うこと自体にメリットもあったため、この時期の小田急は意外と利用しやすいダイヤが組まれていました。
新松田駅で分割併合を行うメリット
小田原まで10両で走らせず、新松田で分割併合を行うことには様々なメリットがありました。現在のダイヤで課題となっている部分もカバーしており、先頭車が沢山必要となることや、ダイヤが乱れた際の影響さえ無視すれば、とても利点が多いダイヤとなっていました。
新松田で分割併合が行われていた時期の基本的なパターンは、新宿から新松田までを10両の急行で運転し、新松田で切り離しを行います。
前の6両は急行のまま箱根湯本まで行き、後ろの4両は各駅停車の小田原行きとなります。
折り返しは小田原発の4両が各駅停車で新松田に先着し、後ろに箱根湯本からの急行を増結して新宿に戻っていました。
この運用の良いところは、箱根登山線に6両の列車を直通運転できていた点で、混雑する時期に今よりも車両の余裕がありました。
小田急線内での輸送力も効率化できており、新松田までは10両での運転だったことから、現在の6両急行で生じる混雑はありませんでした。
新松田から小田原までの各駅停車は4両となってしまいますが、新宿方面との乗り換えをしなくてよいことや、新松田で折り返し運転をする際の煩雑さも回避できるため、よく考えられていたように思います。
おわりに
車両の10両固定編成化を進めることや、ダイヤが乱れた際の影響、要員の確保といった諸問題を嫌がったのか、最終的に通勤型車両の分割併合は廃止されてしまいました。運用の効率化は図られましたが、利用者としては昔のほうが使いやすかったかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (22)
やはり特急の需要減や湘南新宿ライン対策を含めて南海『サザン』方式で速達性目的は勿論、着席面でも期待できるからでしょう。
その為にも3000型6両と特急4両の運転を増やして『えのしま』号や『ふじさん』号あたりからやってゆく必要があるでしょう。
又、多摩線は需要の少なさやホームドア設置が小田原線や江ノ島線に比べてMSE以外のロマンスカー乗り入れがない分、ホームドア導入してメトロ方式の都市型ワンマン導入は可能だと見てます。
同様に代々木上原駅〜成城学園前駅及び新宿駅〜代々木上原駅まではホームドア導入して都市型ワンマンを入れる事でワンマン導入は可能ですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ラッシュ時や都心近くでは適切な長大編成を他の時間帯、事情の違う線区で使うのは規格統一優先で融通の利かない経営。無駄が多く利益が出ない。ソビエト連邦はじめ東欧の経済でよく見られその経済破綻の一因ともされた。
小田原方面の快速急行は新松田での分割併合を主体として、事故でダイヤが乱れた時は足柄か開成に留置の編成を動員するのが合理的と思う。
ワタシダ
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のノロノロ運転が減って「スーパーはこね」の新宿〜湯本間最速73分をもっと余裕もたせてできるかも知れません。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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これまで余り気味だった準急と新宿口の急行を減便したかったことを考えると10両固定が進んでいなかったとしても分割併合のの復活はやはり難しいのでしょうね。
ワタシダ
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となったら本厚木まで10両
それ以降ワンマン6両というのなら有り得るかな?とは思います。
あくまでも混雑緩和を優先しないで運行経費削減を目指す…
という感じで。
もし、10両で運転するから京急の末端区間みたいに20分間隔に減便となるのなら、短編成ワンマンの方がマシとは思います。
ワタシダ
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8000の4両の更新も始まりましたが、電機ブレーキ化+読み替え装置なしで電磁直通ブレーキの6両とは併結できず、併結可能、不可の組み合わせが複雑化しました。
勝手な憶測ですが、8000X4両の更新進行も分割併合がなくなっていった一要因かもしれません。
小田急というと一日中分割併合があって、いろいろな組み合わせがあるし、一日中併結相手が変わるというのが子どものころのイメージです。
今、すべて更新車になった8000は同じ末尾で組まなければならない技術的理由はないと思いますので、中央快速線のT運用とH運用のように区別して、新松田まで10両、前6両は急行で小田原、後ろ4両は新松田ー箱根湯本各停ということはできるはずですがそれをやるメリットがどこまであるか(6両急行の混雑問題は緩和)と、ダイヤ乱れ時の対応といった問題があるのでしょうね。
ワタシダ
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いろいろと流動的な次の20年ほどの利用者動態予測もあり、分割併合は保安面と運用面で完全自動化などが実用化するとそれなりの利点が再評価されるかも知れません。が、近年は固定長編成で決めてきているので、そこまではまだ考えてないんでしょうね。極私的には再び大野分割4+4みたいなキャパシティで充分な、あるいはそれ程に動力などのリソースが制限される時代が、多くが考えているよりもずっと早く来そうな気がします。
ワタシダ
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ワタシダ
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新百合ヶ丘で前6急行、後4各停で充分
ワタシダ
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そんな分割併合なき今、新松田の小田原方にある折り返し線はその後新宿・小田原双方の方面における折り返し列車用として使用されましたが、今年3月のダイヤ変更で町田発着の赤丸急行復活により使用される機会が少なくなりました。正に新松田で分割併合が行われた頃やその後の変遷など時代の変化を物語る感慨深い内容やと思いました。これからも小田急の今昔物語に関する投稿がとても楽しみですね。
ワタシダ
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