複々線化により多くの駅が高架になり、昔ながらの景色が一変した小田急。
連続する高架区間は美しく整い、建築美すら感じることがあります。
その複々線区間内において、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間だけは、過去に先行して高架化が行われていました。
複々線化時には昔からの高架橋が活かされていますが、それはどのような位置関係となっているのでしょうか。
雰囲気としては、現在の向ヶ丘遊園から百合ヶ丘あたりに近いイメージでしょうか、私鉄沿線らしい風景が広がっていました。
そのような風景の中で、一転して高架線となっていたのが、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間です。
駅自体は地平のままでしたが、駅間は完全に高架化されており、代々木上原付近と同様に昔の小田急では珍しい風景でした。
複々線化を待たずに、先行して高架化が行われていたこの区間は、1971年7月に完成しています。
高架化された理由は、環状8号線と小田急を立体交差させるためで、1969年11月にスタートした工事は短期間で済まされ、複線の状態での高架区間が誕生しました。
本格的な複々線化の工事が始まるまで、20年以上は1駅だけの高架線として存在し、車窓に変化がある楽しい場所となっていました。
複々線化後は既存の高架橋もそのまま利用され、線路上は同化していてほとんど旧高架橋の面影は見られませんが、地上からは違いがはっきりと分かる状態になっています。
駅と高架橋自体は25‰の勾配で結ばれており、当時としては比較的珍しいアップダウンのある区間でもありました。
さて、昔からの高架区間は上下線のどちらなのかというと、現在の下り線側が該当します。
旧高架区間は架線柱や軌道が他と異なることが特徴で、改良はされつつも当時の名残となっています。
祖師ヶ谷大蔵から千歳船橋を向くと、このような状態となっています。
途中から架線柱の構造が異なっており、上下線で軌道が違うのがお分かりになるでしょうか。
そして、位置関係にはもう一つ面白い点があります。
地上時代の千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の両駅は、高架橋があった下り線側ではなく、上り線側にありました。
つまり、千歳船橋を出た電車は左にカーブをしながら高架橋に入り、祖師ヶ谷大蔵の手前で右にカーブをしながら地上に降りていきました。
このような位置関係となったのは、高架化の工期を短くするためで、地上を走る既存の線路の隣に高架橋を建設しつつも、駅の位置はそのままだったためです。
地上の時代に線路が敷かれていた位置が、結果的に複々線化の用地となっており、最終的に線形がおかしな状態は解消されました。
先頭車で前を見ながら、構造物の違いを眺めてみるのも面白いかもしれませんね。
連続する高架区間は美しく整い、建築美すら感じることがあります。
その複々線区間内において、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間だけは、過去に先行して高架化が行われていました。
複々線化時には昔からの高架橋が活かされていますが、それはどのような位置関係となっているのでしょうか。
1971年に高架化されていた区間
現在は4本の線路が並び、立派な高架複々線区間となっている東京都内ですが、1990年代の前半までは複線で地平を走る路線でした。雰囲気としては、現在の向ヶ丘遊園から百合ヶ丘あたりに近いイメージでしょうか、私鉄沿線らしい風景が広がっていました。
そのような風景の中で、一転して高架線となっていたのが、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間です。
駅自体は地平のままでしたが、駅間は完全に高架化されており、代々木上原付近と同様に昔の小田急では珍しい風景でした。
複々線化を待たずに、先行して高架化が行われていたこの区間は、1971年7月に完成しています。
高架化された理由は、環状8号線と小田急を立体交差させるためで、1969年11月にスタートした工事は短期間で済まされ、複線の状態での高架区間が誕生しました。
本格的な複々線化の工事が始まるまで、20年以上は1駅だけの高架線として存在し、車窓に変化がある楽しい場所となっていました。
複々線化後は既存の高架橋もそのまま利用され、線路上は同化していてほとんど旧高架橋の面影は見られませんが、地上からは違いがはっきりと分かる状態になっています。
旧高架区間の位置関係
駅間だけが高架橋で、千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の駅は地上にあった頃、この区間の位置関係はやや特殊な状態となっていました。駅と高架橋自体は25‰の勾配で結ばれており、当時としては比較的珍しいアップダウンのある区間でもありました。
さて、昔からの高架区間は上下線のどちらなのかというと、現在の下り線側が該当します。
旧高架区間は架線柱や軌道が他と異なることが特徴で、改良はされつつも当時の名残となっています。
祖師ヶ谷大蔵から千歳船橋を向くと、このような状態となっています。
途中から架線柱の構造が異なっており、上下線で軌道が違うのがお分かりになるでしょうか。
そして、位置関係にはもう一つ面白い点があります。
地上時代の千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の両駅は、高架橋があった下り線側ではなく、上り線側にありました。
つまり、千歳船橋を出た電車は左にカーブをしながら高架橋に入り、祖師ヶ谷大蔵の手前で右にカーブをしながら地上に降りていきました。
このような位置関係となったのは、高架化の工期を短くするためで、地上を走る既存の線路の隣に高架橋を建設しつつも、駅の位置はそのままだったためです。
地上の時代に線路が敷かれていた位置が、結果的に複々線化の用地となっており、最終的に線形がおかしな状態は解消されました。
おわりに
電車に乗っていると、特に意識することなく通過してしまう小田急の旧高架区間。先頭車で前を見ながら、構造物の違いを眺めてみるのも面白いかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (13)
ワタシダ
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すぐに下って祖師ヶ谷大蔵…
環八という大通りの踏切除去のためとはいえ
不自然な線形になっていましたね…
前後のスロープ部分は当然に撤去して複々線の一部として使用しているわけですが
その長さというのは何メートル程度なのでしょうか?
数十年の建設時期の差が
後々問題とならないことを………
ワタシダ
がしました
因みに、旧高架線に繋がるスロープは、駅から出て少し行ったあたりでバスも多数走る千歳通りと交差するのですが、このヵ所では道路路面からの高さが確保できないので、地面を削り千歳通りの方の路面を下げておりました。大雨の際には水がたまるような状況でしたが、高架複々線化完成後、千歳通りの路面もかさ上げされ、通常の高さに戻されました。
ワタシダ
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逆に京急、東横、東武伊勢崎線が早かったのは北側の日照権がない南北を通る路線が大きかったかと。
相鉄も星川は東西を通るので北側の日照権問題が大きく遅れていたから尚更です。
京王もモロ東西を通るので高架化が遅く、北側には首都高もあるので延期も悪化するジレンマを抱えてますね。
しかも地下急行線は明大前駅にホームない事で複々線にやる気ないのがバレちゃったのもなんとも。
普通に笹塚駅〜下高井戸駅間を複々線化して世田谷線の客拾いや井の頭線の乗り換え向上させれば京王ライナー問題も解決できたから尚更です。
因みに環七の方も環八と同じく道路絡みの高架だったがこちらは地下になったし。
世田谷代田駅は複々線完成後は地上にホテルもできたから、ある面では東京都心のアクセスに便利な場所かと。
ワタシダ
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特に高架の場合、北側を買収すると沿線に新たに日陰が生じるので。
ワタシダ
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そういえば、上りで祖師谷からの急勾配、1000型8両編成がデビューした頃、これからは5000×8や8000×8も各停で使うのか、検車に聞いたらそれはない。と。もし1ユニットが故障したら駅出発直後の坂を朝ラッシュの満員8両は登れないからとの事だった。
N6の雨天時は空転により、半分だけでもどうにか登れたけど、さすがに2M6Tは無理と判断していたようだ。
ワタシダ
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Youtubeで80年代の動画見てきましたが、確かにカーブを描きながら高架線走ってますね。
ワタシダ
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ただ複々線化の時に高機能防音板などを増設したので、車窓からだと本当に分かりにくい…
ワタシダ
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ワタシダ
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今度じっくり見てみたいと思います。
ワタシダ
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