複々線化により多くの駅が高架になり、昔ながらの景色が一変した小田急。
連続する高架区間は美しく整い、建築美すら感じることがあります。

その複々線区間内において、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間だけは、過去に先行して高架化が行われていました。
複々線化時には昔からの高架橋が活かされていますが、それはどのような位置関係となっているのでしょうか。

1971年に高架化されていた区間

現在は4本の線路が並び、立派な高架複々線区間となっている東京都内ですが、1990年代の前半までは複線で地平を走る路線でした。
雰囲気としては、現在の向ヶ丘遊園から百合ヶ丘あたりに近いイメージでしょうか、私鉄沿線らしい風景が広がっていました。

そのような風景の中で、一転して高架線となっていたのが、千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵にかけての区間です。
駅自体は地平のままでしたが、駅間は完全に高架化されており、代々木上原付近と同様に昔の小田急では珍しい風景でした。

複々線化を待たずに、先行して高架化が行われていたこの区間は、1971年7月に完成しています。
高架化された理由は、環状8号線と小田急を立体交差させるためで、1969年11月にスタートした工事は短期間で済まされ、複線の状態での高架区間が誕生しました。

本格的な複々線化の工事が始まるまで、20年以上は1駅だけの高架線として存在し、車窓に変化がある楽しい場所となっていました。
複々線化後は既存の高架橋もそのまま利用され、線路上は同化していてほとんど旧高架橋の面影は見られませんが、地上からは違いがはっきりと分かる状態になっています。

旧高架区間の位置関係

駅間だけが高架橋で、千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の駅は地上にあった頃、この区間の位置関係はやや特殊な状態となっていました。
駅と高架橋自体は25‰の勾配で結ばれており、当時としては比較的珍しいアップダウンのある区間でもありました。

さて、昔からの高架区間は上下線のどちらなのかというと、現在の下り線側が該当します。
旧高架区間は架線柱や軌道が他と異なることが特徴で、改良はされつつも当時の名残となっています。

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祖師ヶ谷大蔵から千歳船橋を向くと、このような状態となっています。
途中から架線柱の構造が異なっており、上下線で軌道が違うのがお分かりになるでしょうか。

そして、位置関係にはもう一つ面白い点があります。
地上時代の千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の両駅は、高架橋があった下り線側ではなく、上り線側にありました。
つまり、千歳船橋を出た電車は左にカーブをしながら高架橋に入り、祖師ヶ谷大蔵の手前で右にカーブをしながら地上に降りていきました。

このような位置関係となったのは、高架化の工期を短くするためで、地上を走る既存の線路の隣に高架橋を建設しつつも、駅の位置はそのままだったためです。
地上の時代に線路が敷かれていた位置が、結果的に複々線化の用地となっており、最終的に線形がおかしな状態は解消されました。

おわりに

電車に乗っていると、特に意識することなく通過してしまう小田急の旧高架区間。
先頭車で前を見ながら、構造物の違いを眺めてみるのも面白いかもしれませんね。