小田原線の新百合ヶ丘から分岐し、唐木田までを結んでいる多摩線。
路線の距離が小田原線や江ノ島線と比べて短く、小田急の中ではのんびりとした雰囲気の路線です。

2000年代以降は輸送力の増強が続きましたが、近年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、減便される傾向となっています。
輸送力の増強が続き、明るい話題が多くなってきた20年ぐらい前の多摩線は、どのような路線だったのでしょうか。

古い車両が集まる路線

小田急の多摩線といえば、古い車両が集まる路線というイメージをお持ちの方は多いのではないでしょうか。
近年もその傾向自体は変わらず、8000形の界磁チョッパ制御車や、1000形のワイドドア車が走っていたのは記憶に新しいところです。

1990年代に多摩線が6両化されて以降、多くの列車は2600形で運転されるようになりました。
他の形式も走っていましたが、見かける機会が多いのは2600形で、走っていない日は珍しかったように思います。
2000年代の前半も似たような状況でしたが、2600形の活躍する範囲が広がった影響で、4000形が走る機会が増えていました。

20200620_05

引退が近付く二つの形式が集まる路線、それが当時の多摩線のイメージです。
しかし、2600形の廃車が進むと、最新鋭の3000形が入線する機会が増加し、新旧の車両が共演する光景が展開されることとなります。

20190630_05

そんな当時の多摩線では、2002年に運行が開始された多摩急行が注目されていました。
長年に渡って線内の折り返し列車ばかりだった多摩線に、小田原線と直通運転を行う優等列車が走るようになったのですから、時代は変わったなと感じたものです。

20180923_05

それまでは入線することがなかった地下鉄の車両が走るようになり、車両のバリエーションは一気に増加することとなりました。
小田急からは1000形、千代田線からは6000系と06系が充当され、冴えない支線のイメージは払拭されたように思います。

上屋が少しだけの飾り気のない駅

約20年前の多摩線では、はるひ野がまだ開業していませんでした。
黒川を出ると次は小田急永山で、駅間が長い区間というのがとても印象に残っています。

当時の駅には開業時の雰囲気が強く残っており、ホームの上屋は中央の階段付近だけ、駅舎自体もかなり質素なものでした。

20180224_05

小田急永山や小田急多摩センターはそこそこ栄えていましたが、それ以外の駅は周辺に空き地も目立つ状況で、発展が始まろうとしている時期でした。
駅前にマンション等が建設され、沿線の風景は変化していくこととなります。

20210814_03

はるひ野が開業し、駅のリニューアルが行われたことで、多摩線の雰囲気は一気に明るいものとなりました。
2000年代の多摩線は、前半と後半でかなり雰囲気が異なる路線だったようにも思います。

おわりに

昔ながらの多摩線の雰囲気が残っていた最後の時期が、20年ぐらい前のことでした。
減便によって輸送力の調整が始まった現代は、沿線が成熟したということなのでしょうね。