小田急の駅では二番目に利用者が多く、横浜線との乗り換えも盛んな町田駅。
都心部から離れているのにもかかわらず、利用者がとても多い面白い駅となっています。
多くの利用者で賑わっている町田は、平成の31年間にどれぐらい利用者が増えたのか、今回はその変遷を振り返ってみたいと思います。
駅の周辺には多くの商業施設が集まっており、だいたいの用事が済んでしまう便利な街です。
小田急の駅には小田急百貨店がありますが、駅ビルの中をホームが貫通する構造となっており、全国的にも珍しいケースとなっています。
運行上の特徴としては、小田原や藤沢方面に折り返す列車が設定されており、町田や相模大野を境界として列車の運行形態が変化していきます。
特急を含めた全ての列車種別が停車し、どこに向かうにもアクセスが良好であるため、住みやすい環境が整っているといえるでしょう。
町田には小田急以外にもJR東日本の横浜線が乗り入れていますが、両線の駅には比較的距離があるため、乗り換えには少々時間がかかります。
駅の周辺を歩いていると、路線バスが多く走っていることに気付かされますが、実際に発着数がかなり多く、広範囲から人が集まる駅となっています。
まずは各年度の平均乗降人員を見てみたいと思います。
平成元年:281,813人
平成2年:287,587人
平成3年:297,220人
平成4年:299,216人
平成5年:297,703人
平成6年:不明
平成7年:292,456人
平成8年:291,115人
平成9年:281,167人
平成10年:279,498人
平成11年:277,587人
平成12年:277,304人
平成13年:279,674人
平成14年:279,501人
平成15年:282,772人
平成16年:280,786人
平成17年:281,280人
平成18年:282,478人
平成19年:288,300人
平成20年:291,952人
平成21年:289,622人
平成22年:290,621人
平成23年:288,884人
平成24年:291,678人
平成25年:292,779人
平成26年:289,013人
平成27年:291,911人
平成28年:291,802人
平成29年:292,579人
平成30年:293,572人
平成31年:289,419人
結果はこのようになっており、右肩上がりや右肩下がりということはなく、変化はあるものの横ばいに近い状態となっています。
昭和の時代は右肩上がりで利用者が増加していたものの、平成4年にピークを迎えているのです。
その後は減少傾向となりますが、平成20年代になると再び増加傾向となり、新型コロナウイルス感染症の影響が出るまでは横ばいに近い状態となっていました。
町田は都心から離れた位置にありながら、小田急沿線の中では発展が早かったことが分かります。
増減の推移を見ていくと、周辺の駅が発展したことや、繁華街らしく景気に左右されているような印象もあり、町田という駅の特徴が出ているともいえそうです。
令和の時代における町田の利用者数は、どのような変化を辿ることとなるのでしょうか。
都心部から離れているのにもかかわらず、利用者がとても多い面白い駅となっています。
多くの利用者で賑わっている町田は、平成の31年間にどれぐらい利用者が増えたのか、今回はその変遷を振り返ってみたいと思います。
多くの人で賑わう町田駅
利用者数が物語るとおり、町田駅は終日に渡って多くの人で賑わっています。駅の周辺には多くの商業施設が集まっており、だいたいの用事が済んでしまう便利な街です。
小田急の駅には小田急百貨店がありますが、駅ビルの中をホームが貫通する構造となっており、全国的にも珍しいケースとなっています。
運行上の特徴としては、小田原や藤沢方面に折り返す列車が設定されており、町田や相模大野を境界として列車の運行形態が変化していきます。
特急を含めた全ての列車種別が停車し、どこに向かうにもアクセスが良好であるため、住みやすい環境が整っているといえるでしょう。
町田には小田急以外にもJR東日本の横浜線が乗り入れていますが、両線の駅には比較的距離があるため、乗り換えには少々時間がかかります。
駅の周辺を歩いていると、路線バスが多く走っていることに気付かされますが、実際に発着数がかなり多く、広範囲から人が集まる駅となっています。
平成の31年間に利用者は増えたのか
現在も全線で二番目の利用者数を誇る町田は、平成という時代にどんな変化をしてきたのでしょうか。まずは各年度の平均乗降人員を見てみたいと思います。
平成元年:281,813人
平成2年:287,587人
平成3年:297,220人
平成4年:299,216人
平成5年:297,703人
平成6年:不明
平成7年:292,456人
平成8年:291,115人
平成9年:281,167人
平成10年:279,498人
平成11年:277,587人
平成12年:277,304人
平成13年:279,674人
平成14年:279,501人
平成15年:282,772人
平成16年:280,786人
平成17年:281,280人
平成18年:282,478人
平成19年:288,300人
平成20年:291,952人
平成21年:289,622人
平成22年:290,621人
平成23年:288,884人
平成24年:291,678人
平成25年:292,779人
平成26年:289,013人
平成27年:291,911人
平成28年:291,802人
平成29年:292,579人
平成30年:293,572人
平成31年:289,419人
結果はこのようになっており、右肩上がりや右肩下がりということはなく、変化はあるものの横ばいに近い状態となっています。
昭和の時代は右肩上がりで利用者が増加していたものの、平成4年にピークを迎えているのです。
その後は減少傾向となりますが、平成20年代になると再び増加傾向となり、新型コロナウイルス感染症の影響が出るまでは横ばいに近い状態となっていました。
町田は都心から離れた位置にありながら、小田急沿線の中では発展が早かったことが分かります。
増減の推移を見ていくと、周辺の駅が発展したことや、繁華街らしく景気に左右されているような印象もあり、町田という駅の特徴が出ているともいえそうです。
おわりに
今後の町田市においては、高齢化と人口減少が加速すると予想されており、駅の利用者数にも変化が出てくるものと思われます。令和の時代における町田の利用者数は、どのような変化を辿ることとなるのでしょうか。
コメント
コメント一覧 (24)
乗降客数の増減要因に電源コンセントって。
ぼくのかんがえたおだきゅうせん。
ワタシダ
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ワタシダ
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・商業施設沢山
・飲み屋多い→これ大事
・ラーメン屋美味しい
海老名も悪くないけど
ラーメン屋と居酒屋の数の少なさから個人的には
オススメ出来ない。
ワタシダ
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平成元年 85,740人
平成11年 99,632人
平成21年 107,799人
平成30年 112,540人
横ばいだった小田急とは対照的に3割以上増えてますね。ちなみに町田の人口も同様に平成の30年で約3割(34万人→43万人)増加してます。
「町田は都心から離れた位置にありながら、小田急沿線の中では発展が早かった」というよりは、町田市は平成に入っても人口が増え続け、横浜線町田駅も利用者が増加基調のところ、小田急の町田駅だけが何故か利用が伸びなかったことが分かります。
町田の新住民は横浜線で横浜や八王子に通う人が多かったのか、東京都心に通勤する人が遅くて混む小田急を避けて始発で座れる田園都市線や京王に流れた結果か、原因を分析してみると面白そうですね。
ワタシダ
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それより小田原寄りの本厚木や交通の便が良くない町田に代わって海老名駅での発展し、ららぽーとが出来てからそれが加速したと思います。
現在は橋本駅や新百合ヶ丘駅の発達や長津田駅やグリーンラインからの客が流れて本厚木や海老名の程、増加できなかったです。
相鉄新横浜線で町田駅の打撃が予測される中、小田急は千代田線快速急行乗り入れやブルーライン延伸の新百合ヶ丘駅の開発などもあって町田市はモノレール延伸を急ぐのは当然だと言えます。
ワタシダ
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ワタシダ
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