複々線化によって地下に潜り、地上を走る風景は過去のものとなった小田急の下北沢付近。
地下化から10年近くが経過したことで、地上からは線路の名残も消えつつあるようです。

長い年数をかけて行われることになった地下複々線化は、どのように進められたのでしょうか。

2004年に始まった地下複々線化工事

小田急の下北沢付近は、線路の近くまで建物が密集する中を鉄道が通り、そこをひっきりなしに電車が通過していました。
当然ながら踏切の遮断時間は長く、下北沢の駅前では大勢の人が電車の通過を待ち、踏切が開くと同時に渡る光景が日常でした。

そんな下北沢付近で複々線化の工事が始まったのは、2004年9月のことでした。
この時期は梅ヶ丘から喜多見までの複々線化が完成した頃で、次の段階となる下北沢付近に工事のエリアが移ってくることとなりました。

工事に着工しても、すぐに大きな変化が生じたわけではありませんでしたが、2004年の終わり頃から関係する動きが出てきました。
2004年12月11日のダイヤ改正では、新種別として区間準急が設定されますが、これは複々線化工事で東北沢の通過線が使えなくなるため、苦肉の策としての登場でした。



2005年になると、線路上に木が敷かれているといった目に見える動きもあり、地下にトンネルを掘る準備が進められていきました。

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環状七号線付近を除き、在来線の直下に開削工法でトンネルを掘るため、地上を走る在来線を工事桁化する必要がありました。
工事の進展に合わせて線路は仮線へと切り替えられ、縦に揺れる独特な乗り心地へと変化していきました。

工事桁化の完了後には、線路の下でトンネルを掘る工事が進められ、地下化への準備が進められることとなります。
あっという間に昔ながらの車窓は様変わりし、忙しく工事が行われる区間へと変貌したことをよく覚えています。

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風景がどんどん変化していく中、工事の開始後も駅自体がそのままだったのは下北沢で、下を走る急行線をシールド工法で掘り進めていたため、駅の前後とは違った雰囲気となっていました。
迷路のような独特な駅構造は地下化まで変わらずでしたが、工事用の作業構台が設置されていたため、駅付近の風景は激変していました。

そして、工事の大きな節目となる地下化は、2013年3月23日に行われました。
一夜で地上を走る線路は地下へと切り替えられ、地上を走る電車は過去のものとなりました。

複々線化に向けて続けられた工事

地下化によって風景が様変わりした下北沢付近ですが、地上では引き続きトンネルを掘る工事が進められました。
線路が地下へと移ったことで、下北沢の駅付近もトンネルを掘ることが可能となり、開削工法で緩行線の建設が進められていきます。

複線の状態で地下を走っていた時期には、面白い状況も生まれていました。
この段階で使用されていたのは急行線だったため、東北沢と世田谷代田には本来ホームがありません。
東北沢は緩行線上に仮のホームを構築していましたが、世田谷代田は急行線のトンネル内にホームが設けられており、工事期間中だけの貴重な体験が可能となっていました。



地下を電車が走る中、その上では着々と緩行線のトンネルが掘られ、複々線化の完成に向けた工事が進められていきました。
電車が地上を走っていた頃とは異なり、目に見える動きは感じにくくなっていましたが、複々線化の完成は少しずつ近付いていたのです。

複々線は2018年3月3日に使用を開始し、使用開始前のダイヤのまま運行が行われますが、18日のダイヤ改正後には、複々線を本格的に使用して列車が運行されるようになりました。
こうして長年に渡って行われた工事は一部を除いて完了し、小田急は新しい時代をスタートしたのです。

おわりに

小田急が地上を走らなくなってから月日が経ちますが、なかなか開かない踏切を待ちながら、下北沢の街を歩いたことを昨日のことのように思い出します。
少しずつ記憶が薄れていくことも感じますが、複々線化が完成した状態に慣れてきたということなのかもしれませんね。