1972年に営業運転を開始した小田急9000形。
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
中間に付随車を挟んだ6両編成で、4両と組んだ10両で運転することを想定しています。
編成の仕様は、4両で登場した2次車とほとんど変わりませんが、サハ9551に仕切り扉が設けられたほか、56芯ジャンパ連結器が搭載されなかったことに合わせて、スカートの形状が変更されています。
4両は編成内の全車両が電動車であるのに対して、6両は2両の付随車を入れているため、編成単位での出力が4両よりかなり劣っていました。
登場後はしばらく小田急線内用の車両として使用され、後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるための改造が行われています。
正面の手すりは前後で同じ形状でしたが、乗務員室内に貫通路を構成するための改造が1978年度に行われ、合わせてデハ9401の手すりが交換されました。
1000形の登場により、千代田線に乗り入れる運用からは外れ、晩年は小田急と箱根登山線内で活躍しました。
1995年度には車体修理が行われ、老朽化した部分の補修や、1000形に準じた内装への変更が行われています。
晩年も幅広い種別で活躍しますが、3000形への置き換えで2006年に廃車となりました。
※左側が新宿方
デハ9501:3次車
サハ9551:3次車
サハ9651:3次車
デハ9601:3次車
デハ9701:3次車
デハ9501:川崎重工業
サハ9551:川崎重工業
サハ9651:川崎重工業
デハ9601:川崎重工業
デハ9701:川崎重工業
デハ9501:1973年10月30日
サハ9551:1973年10月30日
サハ9651:1973年10月30日
デハ9601:1973年10月30日
デハ9701:1973年10月30日
デハ9501:調査中
サハ9551:調査中
サハ9651:調査中
デハ9601:調査中
デハ9701:調査中
デハ9501:2006年3月16日
サハ9551:2006年3月16日
サハ9651:2006年3月16日
デハ9601:2006年3月16日
デハ9701:2006年3月16日
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
9401Fの概要
9000形の3次車として、1973年の後半に登場しました。中間に付随車を挟んだ6両編成で、4両と組んだ10両で運転することを想定しています。
編成の仕様は、4両で登場した2次車とほとんど変わりませんが、サハ9551に仕切り扉が設けられたほか、56芯ジャンパ連結器が搭載されなかったことに合わせて、スカートの形状が変更されています。
4両は編成内の全車両が電動車であるのに対して、6両は2両の付随車を入れているため、編成単位での出力が4両よりかなり劣っていました。
登場後はしばらく小田急線内用の車両として使用され、後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるための改造が行われています。
正面の手すりは前後で同じ形状でしたが、乗務員室内に貫通路を構成するための改造が1978年度に行われ、合わせてデハ9401の手すりが交換されました。
1000形の登場により、千代田線に乗り入れる運用からは外れ、晩年は小田急と箱根登山線内で活躍しました。
1995年度には車体修理が行われ、老朽化した部分の補修や、1000形に準じた内装への変更が行われています。
晩年も幅広い種別で活躍しますが、3000形への置き換えで2006年に廃車となりました。
編成表
デハ9401-デハ9501-サハ9551-サハ9651-デハ9601-デハ9701※左側が新宿方
製造区分
デハ9401:3次車デハ9501:3次車
サハ9551:3次車
サハ9651:3次車
デハ9601:3次車
デハ9701:3次車
製造所
デハ9401:川崎重工業デハ9501:川崎重工業
サハ9551:川崎重工業
サハ9651:川崎重工業
デハ9601:川崎重工業
デハ9701:川崎重工業
竣功日
デハ9401:1973年10月30日デハ9501:1973年10月30日
サハ9551:1973年10月30日
サハ9651:1973年10月30日
デハ9601:1973年10月30日
デハ9701:1973年10月30日
車体修理竣功日
デハ9401:調査中デハ9501:調査中
サハ9551:調査中
サハ9651:調査中
デハ9601:調査中
デハ9701:調査中
廃車日
デハ9401:2006年3月16日デハ9501:2006年3月16日
サハ9551:2006年3月16日
サハ9651:2006年3月16日
デハ9601:2006年3月16日
デハ9701:2006年3月16日
9401Fの写真

コメント
コメント一覧 (2)
ワタシダ
が
しました
当時は5000形の2M2Tと同等の性能を狙っていたのでしょう。
後に作られた5000形や8000形の6両は強力ですね。
ワタシダ
が
しました