営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への直通運転用車両として、1972年に登場した小田急9000形。
1990年に乗り入れ運用から撤退し、その後は小田急や箱根登山線内で活躍しました。
晩年は4両と6両で使われ方が異なり、4両は8両を組んで各駅停車に充当されますが、半端となる1編成だけは5000形のように使われていました。
この1編成は9007Fのことが多かったものの、なぜこの編成が選ばれていたのかについては、謎のままとなっています。
勾配が多い地下鉄線内を走行するため、電動車の比率が高くなっており、4両は全車両が電動車というハイパワーな編成となっています。
乗り入れ運用からの撤退後は、小田急線内を中心に使われることとなりますが、4両は2編成を繋いで8両とし、各駅停車を中心に運用されました。
これは電動車比率が高いという特性を活かしたものと考えられ、通常は4本が走っていました。
8両を組むようになったことで、中間に入る先頭車の運転台が不要となったため、2000年には一部の車両から機器が撤去されました。
この頃には編成を組む際のペアが固定されるようになり、以下の組み合わせが基本となりました。
9001-9101-9201-9301+9002-9102-9202-9302
9003-9103-9203-9303+9004-9104-9204-9304
9005-9105-9205-9305+9006-9106-9206-9306
9009-9109-9209-9309+9008-9108-9208-9308
9007-9107-9207-9307
9001Fから9006Fまでは規則正しく組まれていましたが、9007Fだけはなぜか飛ばされ、9008Fと9009Fが順序を逆にして組まれていました。
9007Fを飛ばした位置に9009Fを入れるような組み方ですが、組み方に規則性を持たせる傾向がある小田急では珍しいケースとなっています。
他の編成では見られない姿を目にする機会が多く、9000形の中では異色の活躍をすることとなります。
準急や急行で活躍する機会が多く、僅かな期間ながら快速急行にも充当された9007Fですが、なぜこの編成が8両を組まなかったのかについては、謎のままとなっています。
特に理由はなかったという可能性もありますが、規則性を重視する小田急においては、少なからず違和感があるのです。
理由として考えられるのは、編成ごとに生じる個体差を考慮した場合に、9007Fを単独で運用するのが好都合だったという可能性です。
ブレーキの利き具合い等は編成によって異なるといわれており、9000形の他の編成と組んだ場合の相性が悪かったのかもしれません。
逆のパターンも考えられ、他形式と組んだ場合に暴れる9000形において、他の編成よりもましだったという可能性もあります。
その他には、走行距離や検査のタイミングを考慮していた可能性もありますが、9007Fだけに差が出てくるとも考えにくいでしょう。
牽引車としての活躍も目立った9000形でしたが、9007Fがその役目に向いていたということなのでしょうか。
真相はどういったものなのか、引退してから時間が経過しても気になり続けています。
他の編成とは違う使われ方で小田急ファンを楽しませた9007Fでしたが、9000形は他形式と繋いだ際の相性が悪く、運転士にとってはたまに乗り合わせる運の悪い編成だったのかもしれませんね。
1990年に乗り入れ運用から撤退し、その後は小田急や箱根登山線内で活躍しました。
晩年は4両と6両で使われ方が異なり、4両は8両を組んで各駅停車に充当されますが、半端となる1編成だけは5000形のように使われていました。
この1編成は9007Fのことが多かったものの、なぜこの編成が選ばれていたのかについては、謎のままとなっています。
8両を組んで使われた9000形の4両
千代田線への乗り入れ用として登場した9000形は、4両と6両を繋いだ10両での運転を基本としていました。勾配が多い地下鉄線内を走行するため、電動車の比率が高くなっており、4両は全車両が電動車というハイパワーな編成となっています。
乗り入れ運用からの撤退後は、小田急線内を中心に使われることとなりますが、4両は2編成を繋いで8両とし、各駅停車を中心に運用されました。
これは電動車比率が高いという特性を活かしたものと考えられ、通常は4本が走っていました。
8両を組むようになったことで、中間に入る先頭車の運転台が不要となったため、2000年には一部の車両から機器が撤去されました。
この頃には編成を組む際のペアが固定されるようになり、以下の組み合わせが基本となりました。
9001-9101-9201-9301+9002-9102-9202-9302
9003-9103-9203-9303+9004-9104-9204-9304
9005-9105-9205-9305+9006-9106-9206-9306
9009-9109-9209-9309+9008-9108-9208-9308
9007-9107-9207-9307
9001Fから9006Fまでは規則正しく組まれていましたが、9007Fだけはなぜか飛ばされ、9008Fと9009Fが順序を逆にして組まれていました。
9007Fを飛ばした位置に9009Fを入れるような組み方ですが、組み方に規則性を持たせる傾向がある小田急では珍しいケースとなっています。
不規則な編成が組まれた謎
晩年は半固定編成的に使われた9000形の4両ですが、予備車的な扱いとなった9007Fのみは、10両の新宿方で先頭に立つ機会が多くなりました。他の編成では見られない姿を目にする機会が多く、9000形の中では異色の活躍をすることとなります。
準急や急行で活躍する機会が多く、僅かな期間ながら快速急行にも充当された9007Fですが、なぜこの編成が8両を組まなかったのかについては、謎のままとなっています。
特に理由はなかったという可能性もありますが、規則性を重視する小田急においては、少なからず違和感があるのです。
理由として考えられるのは、編成ごとに生じる個体差を考慮した場合に、9007Fを単独で運用するのが好都合だったという可能性です。
ブレーキの利き具合い等は編成によって異なるといわれており、9000形の他の編成と組んだ場合の相性が悪かったのかもしれません。
逆のパターンも考えられ、他形式と組んだ場合に暴れる9000形において、他の編成よりもましだったという可能性もあります。
その他には、走行距離や検査のタイミングを考慮していた可能性もありますが、9007Fだけに差が出てくるとも考えにくいでしょう。
牽引車としての活躍も目立った9000形でしたが、9007Fがその役目に向いていたということなのでしょうか。
真相はどういったものなのか、引退してから時間が経過しても気になり続けています。
おわりに
小田原方にも9000形が繋がると、昔を思い出させるオール9000形の編成も見ることができました。他の編成とは違う使われ方で小田急ファンを楽しませた9007Fでしたが、9000形は他形式と繋いだ際の相性が悪く、運転士にとってはたまに乗り合わせる運の悪い編成だったのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (11)
3263F+9009F
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9007Fがなぜその予備的扱いになったのかの経緯はわかりませんが、最新編成の9009Fを優先的に使用したかったのか、あるいは9007Fが何らかの不具合または他編成との特性の違いがあって固定編成に組み込みたくなかったのかもしれません。
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9007×4と同じような使われ方をしておりました。また9001×4〜9006×4の検査時の相方や検査出場試運転時の相方として使用されました。
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7は一番状態が良かったから単独で残して、8と9は状態が悪い先頭車を反対に配置した...?
併結の相性はどうだったのでしょうか。
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初めて上京して小田急沿線に住み始めて間もない頃の記憶やったのであまり記憶に残っておりませんが、他の9000形4両が各停や区間準急で運用されたのに対して9007Fが優等列車の増結用で使用されとる姿を見て何となく南海1000系の2両で1編成だけ4両の1051Fと組んで運用された姿を連想しますね。
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