小田急とJR東日本の駅があり、町田市の中心地にもなっている町田駅。
現在はどちらの会社も町田を名乗っていますが、昔は駅名が異なっていました。
現在もやや離れている二つの町田駅ですが、どのように駅名が変化してきたのでしょうか。
当初の駅名は原町田で、駅が設置される場所の地名が採用されたものです。
駅の位置は現在と異なり、小田急の駅とは離れた成瀬寄りにありました。
最終的には国有化され、横浜線の駅となりますが、その時点でも小田急は開業しておらず、駅が二つになるのはまだ先のことでした。
横浜線の駅が誕生してから19年後の1927年に、小田原急行鉄道の駅として新原町田が開業しました。
駅の位置は現在と変わりませんが、両線の駅がかなり離れていることもあってか、新しい原町田駅ということで、新原町田と名付けられました。
小田急の線路は、もう少し成瀬寄りを通る計画だったようですが、最終的に現在の線形に落ち着いており、地図で見ると地形に合わせて迂回するようにカーブしているのが分かります。
当然のことながら、利用客からも駅を近付けてほしいという声があがり、移設が検討されるようになります。
町田市の中心地として発展が続く中、狭いエリアを示す駅名を改めるべきだという声もあり、駅ビルの開発に合わせるように小田急の駅が改称されます。
改称は1976年のことで、まずは小田急の駅が町田へと変わりました。
駅名の改称について、国鉄は大分県にも町田があることを理由に難色を示しますが、他にも駅名が重複するケースがあったため、最終的に改称へと至ります。
小田急から遅れること4年、駅の移転に合わせて1980年に横浜線の駅も町田へと変わり、両線の駅名は町田で統一されることとなりました。
車両の方向幕には、原町田の原だけを消して町田としたものがあり、文字が右に寄った表示が見られました。
離れた位置にあることで異なってしまった駅名を統一するのに、変更するタイミングがずれているのが面白いですね。
現在はどちらの会社も町田を名乗っていますが、昔は駅名が異なっていました。
現在もやや離れている二つの町田駅ですが、どのように駅名が変化してきたのでしょうか。
駅名が異なる二つの町田駅
小田急の小田原線とJR東日本の横浜線が乗り入れる町田は、1908年に横浜鉄道の駅として誕生しました。当初の駅名は原町田で、駅が設置される場所の地名が採用されたものです。
駅の位置は現在と異なり、小田急の駅とは離れた成瀬寄りにありました。
最終的には国有化され、横浜線の駅となりますが、その時点でも小田急は開業しておらず、駅が二つになるのはまだ先のことでした。
横浜線の駅が誕生してから19年後の1927年に、小田原急行鉄道の駅として新原町田が開業しました。
駅の位置は現在と変わりませんが、両線の駅がかなり離れていることもあってか、新しい原町田駅ということで、新原町田と名付けられました。
小田急の線路は、もう少し成瀬寄りを通る計画だったようですが、最終的に現在の線形に落ち着いており、地図で見ると地形に合わせて迂回するようにカーブしているのが分かります。
町田という駅名への統一
現在よりも離れた位置関係で、原町田と新原町田を名乗るようになった両駅ですが、両線の乗換駅として定着し、長い距離を歩いて乗り換えることが日常となりました。当然のことながら、利用客からも駅を近付けてほしいという声があがり、移設が検討されるようになります。
町田市の中心地として発展が続く中、狭いエリアを示す駅名を改めるべきだという声もあり、駅ビルの開発に合わせるように小田急の駅が改称されます。
改称は1976年のことで、まずは小田急の駅が町田へと変わりました。
駅名の改称について、国鉄は大分県にも町田があることを理由に難色を示しますが、他にも駅名が重複するケースがあったため、最終的に改称へと至ります。
小田急から遅れること4年、駅の移転に合わせて1980年に横浜線の駅も町田へと変わり、両線の駅名は町田で統一されることとなりました。
車両の方向幕には、原町田の原だけを消して町田としたものがあり、文字が右に寄った表示が見られました。
おわりに
現在は駅名が統一され、町田市の中心地として賑わう町田駅。離れた位置にあることで異なってしまった駅名を統一するのに、変更するタイミングがずれているのが面白いですね。
コメント
コメント一覧 (30)
ワタシダ
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町田と松田でなんとなく名前も似てますね。新松田も更に繁栄するとJRと同じ駅名になるかもしれませんね。
ワタシダ
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言えない気がします。
現状の駅舎だとパンクしそう…w
ワタシダ
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小田急百貨店が出来て駅の様相が大きく変わり横浜線の駅移設とともにさらに街が進化していったイメージですね。
学生時代も新宿や横浜へ出なくても町田である程度のものが揃うのでお世話になった街でもあります。
マルカワ・アドホック・ジョルナ・丸井・東急ハンズ等々見て周っているだけで楽しかった。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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JRの駅名改称の4年後に大分県の町田駅が廃止(路線ごと廃線)になっているのもまた面白いですね。
小田急の車両もJRのように消して対応したのかと思いましたが、小田急の場合は「新原」の2文字消さなければならないので無理かな(笑)
ワタシダ
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ワタシダ
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駅名の看板がまだ右から左に書かれていました。
ワタシダ
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ワタシダ
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原町田駅は現在の町田ターミナルの所で、ターミナル口の改札はその名残だったような。
以前(いつまでかは忘れましたが)は、自動改札もなく有人の改札口でした。
駅名改称の時期が微妙に違うのが気になってましたが、国鉄側が難色を示していたとは初めて知りました。大分県にも町田駅があったのですねー。
写真は町田止まりが直接下りホームに入る運用ですね。自分が子供の頃は、朝の通勤時間帯にあったような気がします。現在もあるのかな?
ワタシダ
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ただ残念なことに原町田の街は残ったけど、東京(新宿)へ行ける小田急線の方が利便性があった為新原町田周辺が栄えてきて原町田界隈は廃れてきたそうです(現状小田急町田駅もしくは現在の横浜線町田駅周辺が栄えてますよね)
当時の原町田の人たちが小田急線がくるにあたり町の分断を受容して横浜線原町田駅近くに小田急線の駅を設置してたら今の町田駅周辺の様相は違ったものになってたんだろうとおもってます。
ワタシダ
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国鉄側は「原町田」のままでよいと駅名改称を反対しましたが、当時の町田市長が大阪府と福島県の福島のケースを例示したことで現在の駅名になったそうです。ちなみにその町田市長は大阪府出身やったそうで、駅名改称にあたりわざわざこのような駅名重複のケースを取り上げたそうですとか(他に北海道と宮城県、そして熊本県の白石や神奈川県と和歌山県の橋本も今回の町田におけるケースといい勝負になりそうです)。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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冒頭画像で5000形各駅停車町田行きが上りホームに転線してきていますが、こちらはどういう列車でしょうか?
ワタシダ
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ワタシダ
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