相模大野から分岐した小田急の江ノ島線で、最初の駅となるのが東林間です。
6両分のホームを備えた江ノ島線らしい駅となっており、相模大野寄りに橋上駅舎があります。
現在の姿は改良工事によって誕生したものですが、その前後で駅の利便性はどのぐらい変化したのでしょうか。
駅舎の位置は相模大野寄りのホーム端で、数段の階段を上ってホームへと入る構造でした。
元々の駅舎は木造で、洒落たデザインが特徴となっていましたが、戦後の改良により雰囲気が変わったようです。
改良工事前の状態は、私鉄では珍しくないものでしたが、利用者にとってはやや不便な構造となっていました。
どのように不便だったのかというと、駅舎が下り線側にしかないため、上り線側から来る利用者は一度踏切を渡る必要があります。
さらに、上り列車に乗る場合は下りホームから跨線橋を渡って上りホームに行く必要があり、かなり不便な状況でした。
構内踏切があった頃の名残なのだとは思いますが、利用者としては辛い状況だったことでしょう。
改良工事は橋上駅舎化を伴うもので、元の位置と同様に相模大野寄りに設けられることとなります。
橋上駅舎化に合わせて上り線側にも階段が造られ、西口が設けられることとなりました。
やや強引な配置にも見えますが、市の協力により用地を確保したようで、東西を結ぶ自由通路としても機能しています。
小田急では22番目の橋上駅舎となった東林間でしたが、それ以外にも改良点がありました。
今では当たり前となった点字ブロックやスロープが設けられており、バリアフリー化が図られています。
こうして完成した東林間の新しい駅舎は、1982年8月26日に竣功式が行われ、翌日の27日より使用が開始されました。
改良後の駅舎は百合ヶ丘と似ていますが、同時期に改良が行われたことに起因するようです。
この頃は橋上駅舎化が積極的に進められており、昔ながらの駅が消えていく過渡期でもありました。
6両分のホームを備えた江ノ島線らしい駅となっており、相模大野寄りに橋上駅舎があります。
現在の姿は改良工事によって誕生したものですが、その前後で駅の利便性はどのぐらい変化したのでしょうか。
改良工事を行う前の東林間駅
現在の姿になる前の東林間は、下り線側の地上部に駅舎がありました。駅舎の位置は相模大野寄りのホーム端で、数段の階段を上ってホームへと入る構造でした。
元々の駅舎は木造で、洒落たデザインが特徴となっていましたが、戦後の改良により雰囲気が変わったようです。
改良工事前の状態は、私鉄では珍しくないものでしたが、利用者にとってはやや不便な構造となっていました。
どのように不便だったのかというと、駅舎が下り線側にしかないため、上り線側から来る利用者は一度踏切を渡る必要があります。
さらに、上り列車に乗る場合は下りホームから跨線橋を渡って上りホームに行く必要があり、かなり不便な状況でした。
構内踏切があった頃の名残なのだとは思いますが、利用者としては辛い状況だったことでしょう。
東林間駅の橋上駅舎化
利用者にとって不便な状況を解消するため、1981年の10月から改良工事が開始されました。改良工事は橋上駅舎化を伴うもので、元の位置と同様に相模大野寄りに設けられることとなります。
橋上駅舎化に合わせて上り線側にも階段が造られ、西口が設けられることとなりました。
やや強引な配置にも見えますが、市の協力により用地を確保したようで、東西を結ぶ自由通路としても機能しています。
小田急では22番目の橋上駅舎となった東林間でしたが、それ以外にも改良点がありました。
今では当たり前となった点字ブロックやスロープが設けられており、バリアフリー化が図られています。
こうして完成した東林間の新しい駅舎は、1982年8月26日に竣功式が行われ、翌日の27日より使用が開始されました。
改良後の駅舎は百合ヶ丘と似ていますが、同時期に改良が行われたことに起因するようです。
おわりに
橋上駅舎化により、上り線側からのアクセスが向上した東林間駅。この頃は橋上駅舎化が積極的に進められており、昔ながらの駅が消えていく過渡期でもありました。
コメント
コメント一覧 (8)
ホームも短くて砂利敷き、屋根も小さかったのをおぼろげに覚えてます。その頃の小田急はそんな駅ばかりでした。
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あった駅は珍しいのではないでしょうか?
駅前の様相を見ると駅のどちら側に改札があったのかを容易に想像できます。
小田急に限って言えば大きな駅はバスターミナルがあったり小規模な駅でもちょっとした交通広場が設けられたりします。
今回取り上げられた東林間のお隣中央林間も田園都市線延伸前は北口しかなかったですしさらにお隣の南林間も駅ビルが出来る前は地上に西口しかなかったはずです。当然のことながら改札口があった側から街は発展しますし逆側は橋上駅舎化されても既に交通広場を設けられるほどの用地が確保しづらい状態になってしまった駅が多いと感じます。
駅開設当初から橋上駅舎で作られればいいのでしょうがそこまでの規模で最初から作られた駅はほとんどないのではないでしょうか?その代わりホーム脇に必ず踏切があってホーム延伸のネックになってしまったのは皮肉な話ですね。
ワタシダ
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この自由通路、震災の時に遮断機が降りっぱなしだったので使いました。
相模大野から歩いていくと、ここまで全然渡れる箇所がないんです。
久しぶりに思い出しました。
ワタシダ
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よく覚えているのは湘南台なのですが、改札口が上り線側のみに設置されていて
東側から下り方面(藤沢、江ノ島方面)に乗る時は
東側から踏切を渡って改札を通って構内踏切を渡る必要がありました。
そのために1本逃してしまうこともあったことは今となっては思い出になってしまいました。
江ノ島線に限って言えば、今も跨線橋を渡る必要がある駅は藤沢本町と鵠沼海岸くらいでしょうか?
ワタシダ
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