小田急沿線を中心に多数の店舗を展開し、惜しまれつつも2022年2月28日をもって全店舗が閉店したHOKUO。
一部の店舗はDONQへと変わりましたが、大多数の店舗は完全に閉店となりました。

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小田急沿線のパン屋さんというイメージがあるHOKUOですが、どのような経緯で誕生したのでしょうか。

経堂からスタートしたHOKUO

多数の店舗を展開することになるHOKUOは、1989年3月に1号店を経堂にオープンしました。
運営は株式会社北欧トーキョーで、1988年12月21日に設立されています。

北欧トーキョーは株式会社北欧との業務提携により設立されており、株主の構成は小田急電鉄が40%、小田急商事が25%、北欧が35%となっていました。
このあたりで既にややこしくなってきますが、元々のHOKUOは北海道の札幌市内を中心に北欧が展開するお店で、1980年9月に1号店が開店しています。

北欧から製造や販売に関するノウハウの提供を受け、同一の店名等を使用して運営を開始したのが北欧トーキョーのHOKUOであり、同じ店名ながら運営会社が違うというややこしい状態が生まれました。
ロゴの下に「SINCE 1979」という表記があったのはこのためで、北欧トーキョーが設立された年とは一致していませんでした。

各地に存在したHOKUO

小田急の利用者にとって、箱根そばぐらい身近になっていたHOKUOですが、前述の経緯からそれ以外の地域にも店舗が存在しました。
北欧は1985年に南海電気鉄道とも合弁会社を設立しており、関西にも店舗を展開しています。
その他にも関連会社があったようで、新潟県でもHOKUOを見た記憶があります。

しかし、経営方針の違いにより設立者の一人が離脱したり、過大投資等により本家の北欧は混乱が続き、最終的に経営破綻へと追い込まれます。
この段階で小田急と南海は合弁状態を解消しており、独自の路線を歩み始めました。

小田急のHOKUOは、近年も新店舗の展開や新工場の建設を行ってきましたが、コンビニ等との競争が激化する中で、新型コロナウイルス感染症の拡大後は一気に経営状況が悪化、一部の店舗を株式会社ドンクに事業譲渡し、残りの店舗は閉店することとなりました。
こうして小田急沿線からHOKUOは消滅し、慣れ親しんだお店は過去のものとなっています。

本家のHOKUOはというと、こちらも新型コロナウイルス感染症の影響により、2022年3月に最後の1店舗が閉店となりましたが、こちらは6月に再出発をしています。
南海のHOKUOはハークスレイの傘下となり、後にお店の名前もALFHEIMへと変わります。
現在は万代の傘下で運営しており、商品の中には懐かしく感じるパンも残っているようです。

おわりに

複雑な経緯の中で残っていた小田急のHOKUOは、残念ながら過去のものとなってしまいました。
最近は味がよくなっていた印象もあり、閉店は本当に残念なことでしたが、これも時代の流れということなのかもしれませんね。