小田急の新百合ヶ丘駅から歩いて1分ほどの場所に、小田急SCディベロップメントが運営するエルミロードがあります。
エルミロードは1992年にオープンし、この頃から新百合ヶ丘の駅周辺はそれまで以上に賑わう街となりました。
オープンから30周年を迎えることになるエルミロードですが、その頃の新百合ヶ丘周辺、30年前の街並みはどのようなものだったのでしょうか。
イトーヨーカドーとOdakyu OXを中心に据え、多くの専門店が入る複合施設となっており、最上階にはフィットネスクラブも入っています。
エルミロードは1992年11月12日にオープンし、今年で早くも30周年を迎えました。
店内の基本的な構成はオープン当初とあまり変わらず、今も多くの利用者に親しまれています。
当時の新百合ヶ丘は、周辺に少しずつ商業施設ができつつある状況でしたが、まだまだ未開の地といったイメージが強く、駅の近くにも空き地が目立っていました。
現在はイオンスタイルやオーパも営業し、小田急のアコルデ等も賑わっていますが、そのような発展の初期段階に建設されたのがエルミロードでした。
新百合ヶ丘の周辺は道路事情があまりよくなく、エルミロードのオープン後は渋滞がかなり酷くなったことを思い出します。
現在も土日を中心に道路は渋滞をしており、何もなかった駅周辺が懐かしいぐらい、栄えた街へと発展しました。
ショッピングセンターはエルミロードのみで、アコルデの一部は既にあったものの、南口側より北口側のほうに建物が多いぐらいの状況でした。
アコルデの北館やオーパがある場所は駐車場で、それ以外にも地平には多くの駐車場がありました。
イオンスタイルがある場所は完全に空き地となっており、今の風景からは想像もできないぐらい、まだまだこれからという街でした。
ペデストリアンデッキは先に完成していたため、空き地の横にデッキだけがあるような、やや寂しい風景が広がっていたのを思い出します。
イオンスタイルやオーパが建設された場所には、当初セゾングループの進出が予定されており、予定地のような看板もあったと記憶していますが、最終的に進出は中止となりました。
そのようなことがあったせいなのか、駅周辺の発展はやや遅れた印象があり、エルミロードのオープンをきっかけとして急速な発展が始まったように記憶しています。
現在もややおとなしめの街ではあるものの、今後はヤオコーの出店も予定されているようで、さらに発展が続くようです。
エルミロードは1992年にオープンし、この頃から新百合ヶ丘の駅周辺はそれまで以上に賑わう街となりました。
オープンから30周年を迎えることになるエルミロードですが、その頃の新百合ヶ丘周辺、30年前の街並みはどのようなものだったのでしょうか。
30周年を迎えたエルミロード
新百合ヶ丘の南口を出てすぐの場所に、エルミロードというショッピングセンターがあります。イトーヨーカドーとOdakyu OXを中心に据え、多くの専門店が入る複合施設となっており、最上階にはフィットネスクラブも入っています。
エルミロードは1992年11月12日にオープンし、今年で早くも30周年を迎えました。
店内の基本的な構成はオープン当初とあまり変わらず、今も多くの利用者に親しまれています。
当時の新百合ヶ丘は、周辺に少しずつ商業施設ができつつある状況でしたが、まだまだ未開の地といったイメージが強く、駅の近くにも空き地が目立っていました。
現在はイオンスタイルやオーパも営業し、小田急のアコルデ等も賑わっていますが、そのような発展の初期段階に建設されたのがエルミロードでした。
新百合ヶ丘の周辺は道路事情があまりよくなく、エルミロードのオープン後は渋滞がかなり酷くなったことを思い出します。
現在も土日を中心に道路は渋滞をしており、何もなかった駅周辺が懐かしいぐらい、栄えた街へと発展しました。
1992年の新百合ヶ丘駅周辺
エルミロードがオープンした頃の新百合ヶ丘周辺は、駅が開業した頃のような何もない状態ではなかったものの、広い空き地がまだ目立っていました。ショッピングセンターはエルミロードのみで、アコルデの一部は既にあったものの、南口側より北口側のほうに建物が多いぐらいの状況でした。
アコルデの北館やオーパがある場所は駐車場で、それ以外にも地平には多くの駐車場がありました。
イオンスタイルがある場所は完全に空き地となっており、今の風景からは想像もできないぐらい、まだまだこれからという街でした。
ペデストリアンデッキは先に完成していたため、空き地の横にデッキだけがあるような、やや寂しい風景が広がっていたのを思い出します。
イオンスタイルやオーパが建設された場所には、当初セゾングループの進出が予定されており、予定地のような看板もあったと記憶していますが、最終的に進出は中止となりました。
そのようなことがあったせいなのか、駅周辺の発展はやや遅れた印象があり、エルミロードのオープンをきっかけとして急速な発展が始まったように記憶しています。
おわりに
駅の規模の割に寂しい街だった新百合ヶ丘は、エルミロードがオープンした頃から徐々に賑わうようになりました。現在もややおとなしめの街ではあるものの、今後はヤオコーの出店も予定されているようで、さらに発展が続くようです。
コメント
コメント一覧 (15)
私は当時小学生で
近くのイトマンスイミングスクールに通ってました。
母親に帰り道に屋台?で売ってた 今川焼きを買ってもらい帰ったのを記憶してます
ワタシダ
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エルミロード(Lミロード)でっかいミロードの意味らしいです
オープン時にこちらで勤務してましたが、
まぁ忙しい忙しい
月100時間の残業を何故かカットされたのを思い出した
今では考えられないですが
ネットでチケットをとる時代では無かったので
Jリーグの試合のチケットを取るためにチケットぴあに朝から行列出来てましたね
店にはヴェルディやジャイアンツの選手、緑山スタジオからの芸能人等が沢山来店していました
ワタシダ
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消防署や区役所はあったような記憶がありますが、南口のバスロータリーの周りは草ボーボーだった記憶がw
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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『喜劇駅前団地』(1961年東宝)
出演:森繁久彌、フランキー堺、坂本九他
の時代でしょうか・・・
ワタシダ
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今ではつきあいが絶えてしまいましたが稲城市の平尾に祖母の実家があり、小さい頃は亡き両親に連れられて年始の挨拶…というかお年玉をもらいに
行ったものです。
当時は新百合ヶ丘・平尾近辺の開発が始まったばかりで、一面更地の中に祖母の実家を含む古くからの農家が点在していました。
テレビの西部劇の舞台のように冬のからっ風で砂ぼこりが舞っていたのが記憶に残っています
ワタシダ
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セゾングループは出店決定当時、展開する店舗やイメージに独特な文化を持っている感じがして、新百合ヶ丘にはどの様な感じで店を展開するかなと当時小学生~高校生だった自分は興味を持って見ていたのですが、そんなセゾングループは今は・・・
今の新百合ヶ丘は概ね満足していて将来的にも明るい感じがするので、今の困難な状況を克服し、更なる発展を期待したいです。
ワタシダ
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当時高校生で栗平の某高校に在学しており
巨大な新百合ヶ丘駅で乗換してました。
駅前は西武百貨店建設予定とありましたね。
今のイオンですね。
小田急の駅なのに、何で西武なの?って
単純に思う高校生でした。
駅前には何も無かったですね。
野菜の無人販売とかありましたね(笑)
ワタシダ
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ワタシダ
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ちなみに新横浜も東海道新幹線開業当初は「こだま」のみの停車で横浜線も本数が少なく、横浜市営地下鉄ブルーラインも当然ながら未開業でした。その上駅周辺は何もない更地や田畑ばかりで、プリンスホテルなどの大きな建物もなかったことから現在と比べると歴史の変化に大きく心打たれるようなものがあります。
これからもこうした小田急の今昔物語に関する投稿がとても楽しみですね。
ワタシダ
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開発途中の新百合の様子でしたが、その前はそれこそ何にもない野山でした。見る影ありませんね。
ワタシダ
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ワタシダ
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