小田急の小田原線が開業した際に設置され、1998年以降はロマンスカーの停車駅にもなっている秦野。
開業時の駅名は大秦野で、現在とは異なるものでした。

駅名は1987年に改称されましたが、なぜ大秦野として開業したのでしょうか。

秦野付近を走っていた湘南軌道

1927年4月1日に開業した秦野は、大秦野という駅名でスタートしました。
読み方も現在とは異なる濁らないものであり、「おおはたの」と読みます。

小田急が開業した当時、秦野付近には湘南軌道という軽便鉄道が走っており、既に別の秦野駅が存在していました。
駅はイオン秦野ショッピングセンターがある辺りに位置し、小田急の大秦野には台町という駅のほうが近接していましたが、元々はこちらが秦野という駅名で、延伸時に変更されたようです。
湘南軌道の秦野と区別するため、小田急は頭に大を加えた大秦野という駅名になりました。

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小田急よりも先に走っていた湘南軌道は、湘南馬車鉄道として1906年に開業しました。
その名前が示すとおり、開業当初は馬がトロッコを引く鉄道で、輸送量の増加に伴って蒸気機関車へと移行し、秦野から東海道線の二宮までを結んでいました。

湘南軌道はなぜ廃止されたのか

現在も「秦野たばこ祭」が歴史を伝えていますが、秦野ではタバコの栽培が行われていました。
湘南軌道の前身である湘南馬車鉄道は、タバコを二宮まで運ぶことを目的として開業し、交通の便をよくすることで、秦野の発展に貢献することとなります。

湘南馬車鉄道は、蒸気機関車の導入時に湘南軽便鉄道へと名を変え、タバコの輸送や東海道線へのアクセスという役割を担います。
しかし、自動車の台頭等により苦しい経営を余儀なくされ、経営権を通運会社に売却して湘南軌道へとさらに名を変えることとなりました。

苦しい経営状況が続く中、湘南軌道にとって大打撃となったのが小田急の開業であり、国鉄に直結する貨物輸送の開始や、都心部に向かう利用者が流れてしまったことで、1933年には旅客営業を休止します。
そのまま1935年には営業休止へと至り、1937年には全線を廃止することとなりました。

湘南軌道の廃止後も小田急の駅は大秦野のままでしたが、地元の要望等を踏まえて1987年3月9日に駅名を秦野へと改称、読みも濁りのある「はだの」となっています。

おわりに

大秦野という駅名になるきっかけとなった湘南軌道は、小田急の開業から少しして姿を消しました。
今の駅周辺を眺めてみても、軽便鉄道が走っていたとは想像もできませんね。