新宿から小田原まで、全長82.5kmの小田原線を本線としている小田急。
1927年4月1日に全線を一気に開業したという歴史があり、その後支線の開業や他社への乗り入れを通じて、路線網を拡大してきました。

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これだけ長い距離の路線を一気に開業したという事実には驚かされますが、その裏には建設期間が短かったというさらに驚きの事実も隠れています。

全長82.8kmの路線を一気に開業

小田急の本線である小田原線は、1927年4月1日に開業しました。
延伸を繰り返して終点に到達するスタイルではなく、最初から全長82.8kmの全線を一気に開業しており、当初は向ヶ丘遊園から小田原までが単線だったものの、半年ほどで全線が複線となっています。
現在は全線の距離が82.5kmとなっていますが、これは新百合ヶ丘付近の線形改良によって距離が短縮されたためです。

今のように建物が沢山あるような状態ではなかったとはいえ、これだけの距離を私鉄が一気に開業させるのは大変なことであり、親会社が電力会社だったという資金面での強みもプラスに作用したのでしょう。
しかし、開業後の経営状況は苦しく、当時働いていた方々には大変な苦労があったようです。

短かった小田原線の工事期間

全線を一気に開業した小田急でしたが、開業に向けての工事期間にも驚くべき事実があります。
小田急が新宿から小田原に至る全線の工事に着工したのは1925年11月で、開業日の1年ほど前のことだったのです。
それ以前から一部で工事が行われていた可能性はありそうですが、全線に対する工事の着工はこのタイミングとなっており、かなり短い工期で路線の建設が行われたことになります。

着工が11月1日だったとした場合、開業までの日数は516日となりますが、1日に160mぐらいずつ建設を進めなければ間に合わない計算になり、驚異的なスピードだったことが分かります。
現代のような重機はない時代であり、工事は人力に頼る部分が多かったと推測されますが、いったいどのような工事風景だったのかは興味深いところです。

当然のことながら、川を渡る鉄橋や山を貫くトンネルも同時に建設されています。
その一方で、地形に合わせたと思われる線形や、トンネルが単線になっているというような妥協とみられる部分もあり、建設スピードを優先する当時の苦労が偲ばれます。

こうして一気に開業した小田原線は、その後路線を延伸するようなことはなかったものの、箱根登山線への乗り入れを行うことで、最終的に箱根湯本まで到達しました。
無謀ともいえる工事期間ではありましたが、今日の発展に繋がる歴史の出発点として、間違いではない選択だったのでしょうね。

おわりに

新宿から小田原までを乗り通してみると、随分遠くに来たと感じます。
それだけの距離を約1年半の工事期間で開業したという事実には、ただただ驚かされるばかりです。