代々木上原から登戸まで、高架と地下を行き来しながら続く小田急の複々線。
1997年に狛江地区の複々線化が完成する前は、一部を除いて複線で運行されており、各駅停車は途中駅で優等列車を待避しつつ走っていました。

複々線化によって風景は一変し、駅にも昔の面影は残っていませんが、待避線はどの駅に設けられていたのでしょうか。

待避線が設けられていた駅

線路が高架や地下に移り、都心部の風景は一変しました。
大規模な地下化が行われた下北沢付近は、地上から電車が走る風景そのものがなくなり、そこに線路があったという事実自体が遠い過去になりつつあります。

複々線化が行われたことで、待避という概念が都心部ではほぼなくなりましたが、かつては各駅停車が待避線に入り後続列車に道を譲っていました。
特急の通過待ちと急行の待ち合わせが基本でしたが、さらに待避する本数が多い場合もあり、各駅停車で乗り通すのは時間的な覚悟が必要でした。

現在は複々線化された区間内で、複線時代に待避線が設けられていた駅は以下のとおりです。

・東北沢
・経堂
・成城学園前
・向ヶ丘遊園

向ヶ丘遊園は複々線の区間外ですが、上り線のみが線増されているということで含めました。

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東北沢は代々木上原から始まる複々線の終端でしたが、1駅だけではあまり活用できず、待避線の延長区間のようになっていました。
また、経堂はホームの長さが8両分しかなく、緩急接続の中心は急行停車駅である成城学園前と向ヶ丘遊園でした。

待避が可能な駅の間隔

小田急の小田原線が複線だった時代、待避線がある駅はどれぐらいの間隔で存在していたのでしょうか。
複々線の区間外となる新宿から、駅の間隔を見てみましょう。

新宿~東北沢:5駅(4.2km)
東北沢~経堂:5駅(3.8km)
経堂~成城学園前:3駅(3.6km)
成城学園前~向ヶ丘遊園:5駅(4.2km)

結果はこのようになっており、待避線は意外と等間隔で設けられていたことが分かります。
代々木上原から東北沢にかけては複々線ですが、代々木上原自体は待避ができないため、考慮せずにまとめました。

ダイヤ上は全ての駅で待避を行うわけではなく、列車によって待避駅は異なっていましたが、待避時間が長かったり、待避回数が多いといったような、乗り合わせると運の悪い列車もありました。
複々線化された現在も、若干の接続待ち等はありますが、昔に比べればかなり待ち時間が少なくなったと感じます。

おわりに

待避線のある駅で後続列車を待ちながら、のんびりと各駅停車に揺られた記憶が残っています。
座るために各駅停車を選んだり、向ヶ丘遊園が終点だったりしたことを、昨日のことのように懐かしく思い出します。