小田急小田原線の終点であり、その先に続く箱根登山線との接続駅ともなっている小田原。
吹き抜けの大きな屋根が印象的で、太陽の光が降り注ぐ明るい駅構内となっています。

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小田急と箱根登山線の運行形態が固定化し、近年はほとんど変化することがなくなったものの、30年前ぐらいの小田原は、今とはかなり様子が異なる駅でした。

狭くて暗い地下通路

現在は橋上駅舎となっており、地上の3階部分に改札口がある小田原ですが、かつては地下に設けられていました。
ホーム同士は地下で結ばれており、通路は狭くて暗く、今とは全く異なる状態でした。
東西の通り抜けができる自由通路はなく、導線上の課題を抱えている状態となっており、後年の改良工事へと繋がっていきます。

地下通路で行き来していた当時も屋根に特徴があり、ドーム型で開放的な形状に加えて橋上駅舎がないことから、ホームは比較的明るい雰囲気でした。
現在と大きく異なるのはJR東日本と線路が繋がっていたことで、新造された車両は小田原から小田急線内に搬入されていました。

駅の変化は全線10両化の際に発生し、配線の改良により10両編成の列車が停車可能とされ、その過程でJR東日本と繋がる線路はなくなりました。
30000形(EXE)の登場後は分割併合も行われるようになり、小田原線の終点としての役割も徐々に変化するようになります。

東西の通り抜けが可能な橋上駅舎へ

小田原には、JR東日本の東海道線、JR東海の東海道新幹線、伊豆箱根鉄道の大雄山線、それに小田急と箱根登山線を加えた多くの路線が乗り入れています。
しかし、多くの路線が乗り入れる宿命というべきか、鉄道によって駅の東西が分断されてしまっている状態でした。

このような課題を解決するため、1980年代の終わり頃から小田原市や鉄道各社で整備に向けた調整が進められ、小田急は2000年7月に改良工事に着工します。
その後、改良工事により小田急とJR東日本の駅舎は橋上化され、東西を結ぶ自由連絡通路が設けられました。
2003年3月30日には橋上駅舎の使用を開始し、現在とほぼ同じ状態となっています。

小田原の変化はこれで終わらず、2007年3月からは箱根登山鉄道の車両用だったホームの撤去と、箱根登山線内を4両で区間運転するためのホームの設置が進められました。
2008年3月に急行の箱根登山線直通は廃止され、ロマンスカー以外の列車は4両で運転されるようになっています。

おわりに

1990年代から2000年代にかけて断続的に改良工事が行われ、駅は変化し続けました。
近年は大きな変化がなくなり、小田原駅は安定した状態が続いています。