江ノ島線では珍しい待避線を備える駅で、輸送障害時には折り返し運転が行われる長後。
相鉄や横浜市営地下鉄が湘南台に接続したことで、小田急も主要駅としての役割はそちらに移っていきましたが、現在も朝晩を中心に急行が停車しています。

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そんな長後ですが、開業時の駅名は新長後とされ、後年に改称されました。
開業当時に長後という名称の駅は存在しませんでしたが、なぜこのような駅名となったのでしょうか。

長後の由来

1958年4月1日に駅名が改称され、新長後から長後となりましたが、そもそも長後の由来はどういったものなのでしょうか。
調べてみると、長後の由来には二つの説があるようです。

一つ目は、長後坊と名乗った渋谷重国が居住し、地名を長後にしたというもの。
もう一つは、高座郡の長である長郷が変化し、後に長後になったというもの。
諸説があるようで、調べれば調べるほど分からなくなり、そもそも相互に関連がありそうに思えなくもないですが、この二つがよくいわれています。

長後には渋谷重国によって渋谷庄という荘園が置かれ、古くから栄えていた地域のようですが、小田急の開業後には工場の進出や宅地化が進みました。
湘南台の発展により現在は駅の立場が逆転していますが、待避線を使った通過待ち等の役目は、現在も長後が担っています。

なぜ新長後という駅名になったのか

現在は長後となっている駅名は、1929年4月1日の開業時点では新長後でした。
百合ヶ丘と新百合ヶ丘のように、後から開業した駅に「新」を付加するケースは多いものの、新長後の場合にはそれが当てはまらず、別の事情によるものです。

かつて長後村があった頃、その本村は駅から少し離れた西側にありました。
一方で、駅の東側には八王子道と大山道の追分があり、そこには宿駅が形成されていましたが、駅自体は六会村に設置されるという状況でした。
地元と協議のうえで長後が駅名に採用されることになったものの、これらの経緯に配慮して新長後とされました。

駅名を変更するきっかけは藤沢市への編入で、最終的に同じ市内となったことから、現在の駅名である長後に改称されました。

おわりに

駅名の変更や湘南台の発展等、長い歴史の中で様々な変化に巻き込まれてきた長後。
一部では区画整理が行われたようですが、まだまだ交通網を中心に課題は多いようで、今後も色々な変化がありそうですね。