江ノ島線では珍しい待避線を備える駅で、輸送障害時には折り返し運転が行われる長後。
相鉄や横浜市営地下鉄が湘南台に接続したことで、小田急も主要駅としての役割はそちらに移っていきましたが、現在も朝晩を中心に急行が停車しています。
そんな長後ですが、開業時の駅名は新長後とされ、後年に改称されました。
開業当時に長後という名称の駅は存在しませんでしたが、なぜこのような駅名となったのでしょうか。
調べてみると、長後の由来には二つの説があるようです。
一つ目は、長後坊と名乗った渋谷重国が居住し、地名を長後にしたというもの。
もう一つは、高座郡の長である長郷が変化し、後に長後になったというもの。
諸説があるようで、調べれば調べるほど分からなくなり、そもそも相互に関連がありそうに思えなくもないですが、この二つがよくいわれています。
長後には渋谷重国によって渋谷庄という荘園が置かれ、古くから栄えていた地域のようですが、小田急の開業後には工場の進出や宅地化が進みました。
湘南台の発展により現在は駅の立場が逆転していますが、待避線を使った通過待ち等の役目は、現在も長後が担っています。
百合ヶ丘と新百合ヶ丘のように、後から開業した駅に「新」を付加するケースは多いものの、新長後の場合にはそれが当てはまらず、別の事情によるものです。
かつて長後村があった頃、その本村は駅から少し離れた西側にありました。
一方で、駅の東側には八王子道と大山道の追分があり、そこには宿駅が形成されていましたが、駅自体は六会村に設置されるという状況でした。
地元と協議のうえで長後が駅名に採用されることになったものの、これらの経緯に配慮して新長後とされました。
駅名を変更するきっかけは藤沢市への編入で、最終的に同じ市内となったことから、現在の駅名である長後に改称されました。
一部では区画整理が行われたようですが、まだまだ交通網を中心に課題は多いようで、今後も色々な変化がありそうですね。
相鉄や横浜市営地下鉄が湘南台に接続したことで、小田急も主要駅としての役割はそちらに移っていきましたが、現在も朝晩を中心に急行が停車しています。
そんな長後ですが、開業時の駅名は新長後とされ、後年に改称されました。
開業当時に長後という名称の駅は存在しませんでしたが、なぜこのような駅名となったのでしょうか。
長後の由来
1958年4月1日に駅名が改称され、新長後から長後となりましたが、そもそも長後の由来はどういったものなのでしょうか。調べてみると、長後の由来には二つの説があるようです。
一つ目は、長後坊と名乗った渋谷重国が居住し、地名を長後にしたというもの。
もう一つは、高座郡の長である長郷が変化し、後に長後になったというもの。
諸説があるようで、調べれば調べるほど分からなくなり、そもそも相互に関連がありそうに思えなくもないですが、この二つがよくいわれています。
長後には渋谷重国によって渋谷庄という荘園が置かれ、古くから栄えていた地域のようですが、小田急の開業後には工場の進出や宅地化が進みました。
湘南台の発展により現在は駅の立場が逆転していますが、待避線を使った通過待ち等の役目は、現在も長後が担っています。
なぜ新長後という駅名になったのか
現在は長後となっている駅名は、1929年4月1日の開業時点では新長後でした。百合ヶ丘と新百合ヶ丘のように、後から開業した駅に「新」を付加するケースは多いものの、新長後の場合にはそれが当てはまらず、別の事情によるものです。
かつて長後村があった頃、その本村は駅から少し離れた西側にありました。
一方で、駅の東側には八王子道と大山道の追分があり、そこには宿駅が形成されていましたが、駅自体は六会村に設置されるという状況でした。
地元と協議のうえで長後が駅名に採用されることになったものの、これらの経緯に配慮して新長後とされました。
駅名を変更するきっかけは藤沢市への編入で、最終的に同じ市内となったことから、現在の駅名である長後に改称されました。
おわりに
駅名の変更や湘南台の発展等、長い歴史の中で様々な変化に巻き込まれてきた長後。一部では区画整理が行われたようですが、まだまだ交通網を中心に課題は多いようで、今後も色々な変化がありそうですね。
コメント
コメント一覧 (16)
バスに乗り換えて
横浜ドリームランドへ
行きました。
懐かしいです。
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だいぶ後悔もあったようですね。
そりゃ寂れますよ、お店も昔ながらの文具店、金物屋、呉服屋、本屋、米屋、タバコ屋と、今やスーパーで済むような個人店ばかりで需要があるワケでもなく殆どがシャッター閉めて寂しい雰囲気ですよね。道も狭いし。
「街興し」しても2度と活気は取り戻せないでしょうね。残念ですが。
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当時の長後は、主要な駅だった事が伺えますね。
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藤沢市民から愛されている中華料理店の古久家、県内最大級の規模を誇る学習塾のSTEP(何故か長後には2つある)、超大粒の巨峰である藤みのりとかは長後で生まれ、目立っていないけど今の藤沢を支えている街でもありますね。
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