小田急の多摩川橋梁を渡ってすぐの場所には、北側に和泉多摩川、南側に登戸の二つの駅があります。
この両駅は歴史的にも関係が深く、現在も和泉多摩川という駅名にその名残があります。

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駅名の改称により両駅の関係は見えにくくなりましたが、どのような過去が隠れているのでしょうか。

多摩川の予定だった駅名

地名の和泉を加えた駅名となっている和泉多摩川ですが、元々は多摩川という駅名で開業する予定でした。
多摩川の近くにある駅であり、予定されていた駅名自体に違和感はないものの、登戸があることを考えると、北側だけを多摩川で予定するのには違和感があります。

これには理由があり、元々は現在の登戸が設置される予定はなく、和泉多摩川の次は向ヶ丘遊園になる予定だったことが関係しています。
しかし、現在の南武線である南武鉄道が敷設されることが決まり、小田急との交差地点に登戸駅が設置されることになったため、接続駅を小田急側にも設けることとしました。
それが現在の登戸ですが、多摩川橋梁を挟んで二つの駅が存在することになったため、北側を和泉多摩川、南側を稲田多摩川(現在の登戸)としました。

和泉多摩川、登戸、向ヶ丘遊園の各駅は、小田原線の開業時から存在しますが、登戸と向ヶ丘遊園の距離が近いのはこれが理由で、後から設置が決まったことで駅が隣接してしまったのです。
南武線は最初から登戸という駅名だったのに対して、小田急側の駅名は稲田多摩川で、やや不可解な点が残りますが、これにも理由がありました。

なぜ最初から登戸駅にならなかったのか

現在は小田急と南武線で同じ駅名となっている登戸ですが、開業時の小田急が登戸としなかった背景には、向ヶ丘遊園駅の存在が関係しています。
向ヶ丘遊園も開業時は駅名が異なっており、その駅名こそが稲田登戸だったのです。

つまり、和泉多摩川、稲田多摩川、稲田登戸という順番で駅が並んでおり、登戸と稲田登戸という駅名が続くのを避けたのでしょう。
戦後になるとこれらの駅には変化が始まり、1952年に遊園地の向ヶ丘遊園を有料化したことに伴い駅名の改称が行われ、1955年4月1日に稲田登戸の駅名は向ヶ丘遊園となりました。

これで小田急から登戸の名称が消えそうになりますが、古い地名である登戸を残すべく、今度は稲田多摩川を登戸多摩川にすることとし、稲田登戸と同日に改称されます。
しかし、これでは終わらず、駅の改良により乗り換えがしやすくなったため、1958年4月1日に登戸多摩川から登戸に再度駅名が変更され、現在の状態となりました。

おわりに

複雑な経緯を辿り、現在は和泉多摩川という駅名にのみ開業時の名残があります。
最終的には遊園地もなくなってしまいましたが、その駅名は「遊園」として現在も親しまれており、時の流れは面白いものだと実感させられます。