2014年度からリニューアルが開始されるも、様々な要因により半数が廃車された小田急1000形。
廃車となったのは全て未更新車で、ワイドドア車を含めた98両が姿を消しました。
1000形は196両が製造されましたが、形式内でのバリエーションが豊富な車両で、様々な運用で活躍する姿を見ることができました。
今まで公開した写真の中から、未更新車の活躍を振り返ってみたいと思います。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れに備えて6両が登場すると、4両や6両が単独で走る光景も見ることができるようになります。
増備の終盤では長編成化が進み、8両や10両の固定編成が登場します。
最終的には多種多様な編成が揃い、時期によって活躍するシーンも変化しました。
4両と6両の編成が造られましたが、後年に全編成が6両となっています。
6両に統一されてからは、他の編成と組んだ10両での活躍が目立ちましたが、ホームドアの導入に伴って晩年は地味な活躍となりました。
乗り入れをするための装備がある編成が充当され、千代田線の綾瀬まで顔を出していました。
方向幕を装備する車両としては唯一の存在で、白地の種別幕が目立ちます。
運転開始当初は8両での運用があり、4両を2本繋いだ編成や、1081Fの走行機会もありました。
ケイプアイボリーの車体と繋がった混色編成は日常的に見られ、2600形から3000形までの全形式と併結した実績があります。
最終的に4編成の体制となり、小田原から箱根湯本までの箱根登山線内を中心に活躍することとなります。
晩年には小田急線内の全線を走行する機会がある等、鉄道ファンを中心に人気の高い車両でしたが、未更新車の引退により過去のものとなりました。
晩年はステッカーとなり、掲出機会も少なくなってしまいましたが、鉄道ファンを楽しませてくれる車両でした。
時代に合わせて役割を変化させつつ走り続けた未更新車は、時代に翻弄され続けた車両といえそうです。
廃車となったのは全て未更新車で、ワイドドア車を含めた98両が姿を消しました。
1000形は196両が製造されましたが、形式内でのバリエーションが豊富な車両で、様々な運用で活躍する姿を見ることができました。
今まで公開した写真の中から、未更新車の活躍を振り返ってみたいと思います。
1000形の日常
1988年に営業運転を開始した1000形は、4両を2編成繋いだ8両での運転が多く見られました。営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れに備えて6両が登場すると、4両や6両が単独で走る光景も見ることができるようになります。
増備の終盤では長編成化が進み、8両や10両の固定編成が登場します。
最終的には多種多様な編成が揃い、時期によって活躍するシーンも変化しました。
ワイドドア車の活躍
複々線化以外に抜本的な解決策がない中、ラッシュ時の切り札としてワイドドア車が登場しました。4両と6両の編成が造られましたが、後年に全編成が6両となっています。
6両に統一されてからは、他の編成と組んだ10両での活躍が目立ちましたが、ホームドアの導入に伴って晩年は地味な活躍となりました。
千代田線への乗り入れ
1000形は千代田線への乗り入れ用車両としても活躍し、準急や多摩急行で走る姿が日常でした。乗り入れをするための装備がある編成が充当され、千代田線の綾瀬まで顔を出していました。
通勤急行での活躍
複々線が完成した晩年には、通勤急行での活躍もありました。方向幕を装備する車両としては唯一の存在で、白地の種別幕が目立ちます。
運転開始当初は8両での運用があり、4両を2本繋いだ編成や、1081Fの走行機会もありました。
他形式との併結
晩年はほとんど見られなくなりましたが、他形式との併結も頻繁に行われました。ケイプアイボリーの車体と繋がった混色編成は日常的に見られ、2600形から3000形までの全形式と併結した実績があります。
人気だったレーティッシュカラー
箱根登山線内用の編成として、2009年以降にレーティッシュカラーの編成が登場しました。最終的に4編成の体制となり、小田原から箱根湯本までの箱根登山線内を中心に活躍することとなります。
晩年には小田急線内の全線を走行する機会がある等、鉄道ファンを中心に人気の高い車両でしたが、未更新車の引退により過去のものとなりました。
掲出機会が多かったヘッドマーク
1000形はヘッドマークを掲出する機会が多く、様々な姿を見ることができました。晩年はステッカーとなり、掲出機会も少なくなってしまいましたが、鉄道ファンを楽しませてくれる車両でした。
おわりに
更新車の活躍はこれからも続きますが、未更新車が見せてくれた多種多様な姿は過去のものとなりました。時代に合わせて役割を変化させつつ走り続けた未更新車は、時代に翻弄され続けた車両といえそうです。
コメント
コメント一覧 (9)
まだ「小田急顔」の古臭い電車も多かった時代に、当時最新型だった1000形の、手が込んだお洒落な内外装は輝いてました。1000形のデザインは9000形から始まった「新しい小田急ブランドデザイン」の集大成のようにも見えました。
2000形がデビューした頃に転居したのですが、二十数年ぶりに沿線に戻ったら、色気の欠片もない、あからさまに安っぽい汎用車ばかり走り回る小田急の姿に衝撃を禁じ得ませんでした…
(こういう言い方をするとジェンダー厨に叩かれそうですが)かつて憧れだったクラスのアイドルが、同窓会で会ったらすっかり「そこらのオバハン」に劣化していたのを見てしまったような衝撃でした。
ワタシダ
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その際に土曜急行にもそのまま運用されましたが、他形式との連結運転は、当初全く行わず、翌年に地下鉄乗り入れ対応の1059×4から1061×4、および1251×6から1253×6が登場してからです。
忘れている方も多いかも知れませんが、1059×4と1060×4も当初は地下鉄乗り入れ対応車でした。
ワタシダ
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こっちが年取っただけと言えばそれまでですが、白字に青のラインこそが小田急と思う者にとっては、8000形の帰趨を含め、時代の変化を嘆くくらいしかできません。
ワタシダ
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時の経つのは早いものですね。ノーマルドアは全車更新されると思ったですが((^^;
ワタシダ
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引退前に6両急行の運用に入っていましたね。
リニューアルした車両も元気に走ってください。
ワタシダ
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ワタシダ
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今日に至るまで発表もなく1081Fから始まってちょうど半数が廃車になってしまいました。
8000の時から機器も含めた大規模な更新となって年間十数両で、何年かかるのだろうと思いました。
結局途中から更新対象は10両固定やそうなる編成(現1097F)に限られました。
計画変更はいつごろ、どういう理由だったのか?
・時間がかかりすぎ。特にホームドア導入のため早く電磁直通車をなくしたかった?
・1095F,1096F(クハのサハ改造)のときにアスベスト問題で10両固定化中止?
などいろいろな説がありますが。
真相は明らかにならないか、なるとしたら退職後にどなたかの回想録的なものが出た場合でしょうね。
もし160両全部が更新されていたら、10両が6本出たのでしょうけど、
4両(結局7編成が更新)は最大で13本出た可能性があるのですが、どう使う予定だったのか、
1編成だけの1081Fはどうする予定だったのか、興味は尽きないですが、あきらかになることがあるのかどうか。
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ワタシダ
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ワタシダ
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現在の車両やと4000形も千代田線・常磐緩行線直通列車から新年発着の快速急行から各停まで幅広く活躍しとりますし、9000形も晩年は湘南急行や快速急行、区間準急に使用されるなど小田急の千代田線直通用車両は活躍の幅が広いことが窺えます。
ワタシダ
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