小田急のことを毎日のように書くOdapediaがスタートしてから、今日で5周年を迎えることとなりました。
ここまで続けてこられたのは、多くの皆さまの支えがあってのことであり、この場を借りて深く御礼申し上げます。
5年前の小田急は複々線の完成を間近に控えており、同時に70000形(GSE)が営業運転の開始に向けて試運転を繰り返している頃でした。
そこまで昔のことではありませんが、5年前の小田急はどんな状況だったのかを振り返ってみたいと思います。
記念すべきというわけではないですが、Odapediaの歴史はこの記事から始まりました。
当時は複々線の完成に伴うダイヤ改正を控えており、それに伴って車両にヘッドマークが掲出されることから、過去の事例を取り上げたようです。
この記事から毎日の更新がスタートしますが、開始当初は写真に対して解説をするというスタイルで、現在とは全く異なる内容でした。
長年に渡って工事が続いてきた複々線化は、新ダイヤによって本当の意味での完成を迎えようとしており、通勤急行等の新種別を導入することも発表され、その日を心待ちにしている状況でした。
ダイヤ改正に合わせて制服を刷新することも予定され、新しい小田急に向かう時期だったといえます。
この時期は通勤型車両の動きが控えめで、安定した状況が続いていました。
ロマンスカーについては、GSEが営業運転の開始を控えていたほか、30000形がリニューアルによってEXEからEXEαに変わりつつあり、慌ただしくなってきた頃でした。
GSEの導入に伴い、7000形(LSE)の去就が注目されていましたが、結果は置き換えというものでした。
伝統の愛称であるあさぎり号が、現在も使われるふじさん号に変わったのもこのタイミングで、向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車の設定がなくなる等もあり、ロマンスカーは変化の年だったといえるでしょう。
複々線の完成に伴い、列車種別にも変化が生じます。
大きなトピックスとしては、長く走り続けてきた多摩急行の消滅があげられ、東京メトロやJR東日本の車両が多摩線を走る日常が終わろうとしていました。
多摩急行の本数自体は既に減少しており、慌てて撮影を試みたことを思い出します。
その他にも、快速急行が登戸を通過して駆け抜けたり、下北沢付近の地下を急行線だけで運行する光景が過去のものとなりました。
途中で種別が変わる列車について、最終行先を表示する運用に変わったのもこのタイミングで、終点で行先を変えつつも、車両自体はそのまま走る光景が見られなくなっています。
これからの5年間にはどのような変化があるのでしょうか。
5年後の10周年にも振り返ることができるように、これからも頑張って記事を書いていきたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
ここまで続けてこられたのは、多くの皆さまの支えがあってのことであり、この場を借りて深く御礼申し上げます。
5年前の小田急は複々線の完成を間近に控えており、同時に70000形(GSE)が営業運転の開始に向けて試運転を繰り返している頃でした。
そこまで昔のことではありませんが、5年前の小田急はどんな状況だったのかを振り返ってみたいと思います。
大きく変化しつつあった小田急
なんとなくブログを書いてみようと思い、最初の記事を公開したのは2018年1月20日のことでした。記念すべきというわけではないですが、Odapediaの歴史はこの記事から始まりました。
当時は複々線の完成に伴うダイヤ改正を控えており、それに伴って車両にヘッドマークが掲出されることから、過去の事例を取り上げたようです。
この記事から毎日の更新がスタートしますが、開始当初は写真に対して解説をするというスタイルで、現在とは全く異なる内容でした。
長年に渡って工事が続いてきた複々線化は、新ダイヤによって本当の意味での完成を迎えようとしており、通勤急行等の新種別を導入することも発表され、その日を心待ちにしている状況でした。
ダイヤ改正に合わせて制服を刷新することも予定され、新しい小田急に向かう時期だったといえます。
この時期は通勤型車両の動きが控えめで、安定した状況が続いていました。
ロマンスカーについては、GSEが営業運転の開始を控えていたほか、30000形がリニューアルによってEXEからEXEαに変わりつつあり、慌ただしくなってきた頃でした。
消えるものも多かった2018年
小田急が変わろうとする時期ということで、2018年は消えるものも多い年でした。GSEの導入に伴い、7000形(LSE)の去就が注目されていましたが、結果は置き換えというものでした。
伝統の愛称であるあさぎり号が、現在も使われるふじさん号に変わったのもこのタイミングで、向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車の設定がなくなる等もあり、ロマンスカーは変化の年だったといえるでしょう。
複々線の完成に伴い、列車種別にも変化が生じます。
大きなトピックスとしては、長く走り続けてきた多摩急行の消滅があげられ、東京メトロやJR東日本の車両が多摩線を走る日常が終わろうとしていました。
多摩急行の本数自体は既に減少しており、慌てて撮影を試みたことを思い出します。
その他にも、快速急行が登戸を通過して駆け抜けたり、下北沢付近の地下を急行線だけで運行する光景が過去のものとなりました。
途中で種別が変わる列車について、最終行先を表示する運用に変わったのもこのタイミングで、終点で行先を変えつつも、車両自体はそのまま走る光景が見られなくなっています。
おわりに
僅か5年間のことではありますが、小田急には様々な変化がありました。これからの5年間にはどのような変化があるのでしょうか。
5年後の10周年にも振り返ることができるように、これからも頑張って記事を書いていきたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
コメント
コメント一覧 (10)
2018年、まだ1000形や8000形も全員おそろいで、3000形の10両化が進むなどまさに複々線完成に向けて様々お祭り騒ぎ、私も動向を見守っていました。
今でこそ1000形は一部廃車
8000形もいよいよ代替が始まっている状態ですが、次代を担う5000形やリニューアルした3000形、そして更新を受けて新車同然になった1000形や4000形がこれからを担ってくれることでしょう
これからもよろしくお願いします。
ワタシダ
がしました
今と昔を織り交ぜつつ、これからも小田急の話題をお届けできるよう頑張ってまいります!
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
ワタシダ
がしました
確かに小田原線の複々線は、距離が短めながら、
頼もしいですよね! 以前のページで、
代々木上原側に引込線がないから、千代田線が
マヒした時、小田急も全線的に悪影響が及んで
しまうという話がありましたね。
言われてみれば という話ながら、印象的でした。
これからも楽しみにしています、応援しています!
ワタシダ
がしました
5年前がちょうど複々線化の完成の年でしたね。
自分が物心ついたころに用地買収が始まっていて、本当に長かったし、私たち利用者の夢がついに実現、そして小田急の歴史上画期的なことだと思いました。
しかし2年すると、想定外のこととして新型コロナで、今日まで続いています。
人口減少時代にも入り、小田急はどうなっていくのか、5年前ともいろいろなことが変わってしまいました。
現実は踏まえつつも、これからも小田急のいろいろな話題をぜひ共有してください。
ワタシダ
がしました
記事中ですが、複々線完成直前の下北沢はすべての列車を緩行線ではなく急行線でさばいていたかと思われます。
ワタシダ
がしました
毎日の更新は大変だと思いますが、
毎日楽しみに拝見しております。
身近な小田急の情報、
これからもよろしくお願いします!
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
言われてみれば、複々線化の完成や各駅停車の10両化、GSEの営業入りやLSEの引退などから昨今のコロナ禍による減便を伴うダイヤ変更やVSEの定期運用離脱、1000形未更新車の全廃などとこの5年間で様々な変化があったかと思います。
これからもこちらのブログが多くの方々に愛されるとともに、小田急の更なる変化をお届けすることで楽しめられることを期待しております。そして私も沿線在住者としてこちらのブログを応援するとともに、小田急の更なる変化と成長に期待して参りたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ワタシダ
がしました
これからも楽しく拝見致します!
ワタシダ
がしました