小田急のことを毎日のように書くOdapediaがスタートしてから、今日で5周年を迎えることとなりました。
ここまで続けてこられたのは、多くの皆さまの支えがあってのことであり、この場を借りて深く御礼申し上げます。

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5年前の小田急は複々線の完成を間近に控えており、同時に70000形(GSE)が営業運転の開始に向けて試運転を繰り返している頃でした。
そこまで昔のことではありませんが、5年前の小田急はどんな状況だったのかを振り返ってみたいと思います。

大きく変化しつつあった小田急

なんとなくブログを書いてみようと思い、最初の記事を公開したのは2018年1月20日のことでした。
記念すべきというわけではないですが、Odapediaの歴史はこの記事から始まりました。



当時は複々線の完成に伴うダイヤ改正を控えており、それに伴って車両にヘッドマークが掲出されることから、過去の事例を取り上げたようです。
この記事から毎日の更新がスタートしますが、開始当初は写真に対して解説をするというスタイルで、現在とは全く異なる内容でした。

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長年に渡って工事が続いてきた複々線化は、新ダイヤによって本当の意味での完成を迎えようとしており、通勤急行等の新種別を導入することも発表され、その日を心待ちにしている状況でした。
ダイヤ改正に合わせて制服を刷新することも予定され、新しい小田急に向かう時期だったといえます。

この時期は通勤型車両の動きが控えめで、安定した状況が続いていました。
ロマンスカーについては、GSEが営業運転の開始を控えていたほか、30000形がリニューアルによってEXEからEXEαに変わりつつあり、慌ただしくなってきた頃でした。

消えるものも多かった2018年

小田急が変わろうとする時期ということで、2018年は消えるものも多い年でした。
GSEの導入に伴い、7000形(LSE)の去就が注目されていましたが、結果は置き換えというものでした。
伝統の愛称であるあさぎり号が、現在も使われるふじさん号に変わったのもこのタイミングで、向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車の設定がなくなる等もあり、ロマンスカーは変化の年だったといえるでしょう。

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複々線の完成に伴い、列車種別にも変化が生じます。
大きなトピックスとしては、長く走り続けてきた多摩急行の消滅があげられ、東京メトロやJR東日本の車両が多摩線を走る日常が終わろうとしていました。
多摩急行の本数自体は既に減少しており、慌てて撮影を試みたことを思い出します。

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その他にも、快速急行が登戸を通過して駆け抜けたり、下北沢付近の地下を急行線だけで運行する光景が過去のものとなりました。
途中で種別が変わる列車について、最終行先を表示する運用に変わったのもこのタイミングで、終点で行先を変えつつも、車両自体はそのまま走る光景が見られなくなっています。

おわりに

僅か5年間のことではありますが、小田急には様々な変化がありました。
これからの5年間にはどのような変化があるのでしょうか。

5年後の10周年にも振り返ることができるように、これからも頑張って記事を書いていきたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。