小田急初の高性能車として、1954年に最初の編成が登場した小田急の2200形。
前面の大きな2枚窓が特徴の車両で、1984年の引退まで基本の姿を変えずに活躍しました。
現在も第1編成のデハ2201が保存されていますが、廃車からしばらくの間は野ざらしになっていた時期がある等、エピソードが豊富な車両となっています。
他の編成や後輩車両が解体されていく中、保存車としてそれを見守るかのように残ることとなります。
残されたとはいえ、当時の小田急には保存車両を置いておく適当な場所がなく、大野工場の片隅で留置される状態となります。
場所は小田原方の端で、現在は1000形の1062Fが留置されている付近に置かれていました。
屋根等はない野外であり、風雨にさらされる状態が続くこととなりますが、車内からも見えることが多く、人目に触れることが多い時期だったといえます。
大野工場に保管されていた頃の2201Fは、ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻いた晩年の姿のままで、ネコと呼ばれた外観を保っていました。
そんな2201Fに転機が訪れるのは1997年のことで、オールドファンには懐かしい旧塗装へと塗り替えられました。
1998年2月に大野工場から喜多見検車区への移動が行われ、ようやく屋根のある場所に置かれることとなりますが、普段は見ることができなくなってしまいました。
2201Fを見るのは、相模大野付近を通る際の楽しみでもあったため、少し寂しく感じたのを覚えています。
喜多見検車区に移動した後には、ファミリー鉄道展等で展示される機会があり、時折懐かしい姿を見せてくれることとなります。
現役時代と同じ2両編成のままの姿は、今にも走り出してしまうのではないかと思うほどで、動態保存だったら面白いのにといつも夢見ていました。
しかし、ファミリー鉄道展に保存車両を展示することがなくなってしまい、その後は喜多見検車区内で静かに余生を過ごすこととなります。
長らく2両のまま保存されてきた2201Fでしたが、2019年には残念ながらデハ2202が解体されてしまいます。
喜多見検車区内には保存車両が増え続けており、占有しているスペースを複々線化後のダイヤに向けて空けることが理由だったようです。
その後、2019年には残ったデハ2201が海老名検車区へと移動し、元々は3000形(SE)が入っていた保存用の車庫に収容されています。
最近は車庫に入れる機会がなくなり寂しいものですが、何かの折に近くで見られる日を楽しみに待ちたいと思います。
前面の大きな2枚窓が特徴の車両で、1984年の引退まで基本の姿を変えずに活躍しました。
現在も第1編成のデハ2201が保存されていますが、廃車からしばらくの間は野ざらしになっていた時期がある等、エピソードが豊富な車両となっています。
大野工場の片隅に留置されていた2201F
1983年に役目を終えて廃車となった2201Fは、小田急初の高性能車であることを理由として、解体を免れました。他の編成や後輩車両が解体されていく中、保存車としてそれを見守るかのように残ることとなります。
残されたとはいえ、当時の小田急には保存車両を置いておく適当な場所がなく、大野工場の片隅で留置される状態となります。
場所は小田原方の端で、現在は1000形の1062Fが留置されている付近に置かれていました。
屋根等はない野外であり、風雨にさらされる状態が続くこととなりますが、車内からも見えることが多く、人目に触れることが多い時期だったといえます。
大野工場に保管されていた頃の2201Fは、ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻いた晩年の姿のままで、ネコと呼ばれた外観を保っていました。
そんな2201Fに転機が訪れるのは1997年のことで、オールドファンには懐かしい旧塗装へと塗り替えられました。
喜多見検車区への移動とデハ2202の解体
旧塗装化された2201Fですが、今度は長年の定位置から離れる日が訪れます。1998年2月に大野工場から喜多見検車区への移動が行われ、ようやく屋根のある場所に置かれることとなりますが、普段は見ることができなくなってしまいました。
2201Fを見るのは、相模大野付近を通る際の楽しみでもあったため、少し寂しく感じたのを覚えています。
喜多見検車区に移動した後には、ファミリー鉄道展等で展示される機会があり、時折懐かしい姿を見せてくれることとなります。
現役時代と同じ2両編成のままの姿は、今にも走り出してしまうのではないかと思うほどで、動態保存だったら面白いのにといつも夢見ていました。
しかし、ファミリー鉄道展に保存車両を展示することがなくなってしまい、その後は喜多見検車区内で静かに余生を過ごすこととなります。
長らく2両のまま保存されてきた2201Fでしたが、2019年には残念ながらデハ2202が解体されてしまいます。
喜多見検車区内には保存車両が増え続けており、占有しているスペースを複々線化後のダイヤに向けて空けることが理由だったようです。
その後、2019年には残ったデハ2201が海老名検車区へと移動し、元々は3000形(SE)が入っていた保存用の車庫に収容されています。
おわりに
保存用の車庫に収容されて以降は、外から車両の姿自体は見えるようになりました。最近は車庫に入れる機会がなくなり寂しいものですが、何かの折に近くで見られる日を楽しみに待ちたいと思います。
コメント
コメント一覧 (4)
しかし、外観だけ見たら吊掛駆動車と勘違いする車両は他社にもありました。
西武601系や冷房改造前の701系はクハの台車だけ見ればイコライザーのTR11なので、カルダン駆動車には見えませんし、京阪でも1900系の旧1810系組は側窓下にシルがついており、実際の車齢以上に使い込まれてるような感がありました。その中でも前面が精悍なモダン顔に整形された1914は今でも忘れることの無い車両でした。
ゆえに猫電2200形は見た目で判断するなと我々に教えてるかのような電車でした。
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保存された1両には今後ファミリー鉄道展などのイベントとかで展示される機会があればいいですね。
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