最盛期には年間に7.7億人を運び、東京都から神奈川県に路線を有する小田急。
元々は短い車両がのんびり行き来する路線でしたが、戦後に沿線が発展したことで、全線に渡って10両編成が走り回る路線へと変貌しました。

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戦後にとてつもないペースで増加した小田急の利用者ですが、どれぐらいの伸びを記録していたのでしょうか。

1日平均輸送人員の推移

戦後の日本では、1955年頃から高度経済成長期が始まり、東京には全国から人口が流入しました。
小田急沿線もこの頃から飛躍的に発展するようになり、利用者は想定を上回るペースで増加を続けることとなります。

高度経済成長期において、小田急の利用者はどれぐらい増加したのでしょうか。
戦後における、年度ごとの1日平均輸送人員の推移を見てみることにしましょう。

1950年度(昭和25年度):22万人
1955年度(昭和30年度):31万人
1960年度(昭和35年度):48万人
1965年度(昭和40年度):82万人
1970年度(昭和45年度):110万人
1975年度(昭和50年度):130万人
1980年度(昭和55年度):147万人
1985年度(昭和60年度):166万人
1990年度(平成2年度):190万人
1995年度(平成7年度):193万人
2000年度(平成12年度):183万人

1950年度からの50年間を見ると、1990年度頃までハイペースでの増加が続いていたことが分かります。
新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前の2019年度に、1日平均輸送人員は210万人となっており、ここが現時点でのピークとなっています。

伸び率はどれぐらいだったのか

数字だけでは分かりにくいため、5年ごとの伸び率も見てみることにしましょう。

1950年度⇒1955年度:141%
1955年度⇒1960年度:155%
1960年度⇒1965年度:171%
1965年度⇒1970年度:134%
1970年度⇒1975年度:118%
1975年度⇒1980年度:113%
1980年度⇒1985年度:113%
1985年度⇒1990年度:114%
1990年度⇒1995年度:102%
1995年度⇒2000年度:95%

高度経済成長期と呼ばれる時代に、とてつもない勢いで伸びていることが分かります。
母数が大きくなれば、当然伸び率は小さくなりますが、5年間で利用者が1.5倍以上も増える状況であれば、2600形のような大型車の導入に迫られたのも納得ですね。

おわりに

コロナ禍である2021年度は、1日平均輸送人員が159万人にまで落ち込みました。
1985年度が166万人であったことを踏まえると、40年前ぐらいの水準になっていたことが分かりますが、2022年度は最終的にどこまで回復してくるのでしょうか。