1997年に複々線化され、近くには喜多見検車区が置かれている喜多見駅。
各駅停車のみが停まる普段はあまり目立たない駅ですが、過去には大きな計画が存在していました。

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結果的には複々線区間内の一駅となった喜多見ですが、過去にはどのような計画があったのでしょうか。

喜多見駅を起点とする8号線の計画

小田急と相互直通運転を行う身近な路線といえば、東京メトロの千代田線を浮かべる方が多いかもしれません。
代々木上原で小田急と接続し、同一ホームでの乗り換えも可能な千代田線ですが、元々は喜多見での接続が計画されていました。

千代田線の計画は、都市交通審議会が1962年の答申で示した路線から始まります。
この答申で示された8号線は、喜多見から原宿や日比谷を経て松戸に至る路線とされ、代々木上原を起点とするものではなかったのです。
東京都区内の輸送力が限界にならないように、新宿から離れた場所で分岐させようとしたためですが、これは小田急にとって都合が悪いものでした。

喜多見から都心部に至る路線が小田急に並行する場合、経営面で重大な影響を及ぼすと考えられることから、1964年の建設省告示第3379号で都市計画が決定した9号線では、喜多見から綾瀬までを結ぶ路線とされたうえで、代々木上原から喜多見までは小田急を線増する計画とされました。
つまり、千代田線の建設は複々線化のスタートでもあり、ここから実現に向けた長い道のりが始まります。

喜多見駅からの分岐が計画された多摩線

千代田線との関係が深い喜多見ですが、新百合ヶ丘から分岐する多摩線とも関係がありました。
多摩ニュータウンの開発に合わせて計画された多摩線は、こちらも喜多見からの分岐が予定されていたのです。

当初の計画では、喜多見付近から分岐してよみうりランド付近を経由し、稲城市内を通って多摩センターに至るルートとなっていました。
どこかで見たようなルートだと気付く方は多いと思いますが、京王の相模原線と競合してしまうという大きな問題がありました。
さらに、多摩川にもう一つ橋梁が必要になるという問題もあり、この計画は変更されます。

都市交通審議会が1972年に示した答申では、9号線が綾瀬から新百合ヶ丘を経由して橋本に至る路線とされ、代々木上原から新百合ヶ丘までは小田急を複々線化することとされました。
こうして喜多見は複々線区間内の各駅停車しか停まらない駅に落ち着きましたが、最初の計画のまま進んでいたら、いったいどんな駅になっていたのでしょうか。

おわりに

小田急に大きな変化をもたらした事業として、千代田線との相互直通運転、複々線化、多摩線の建設がありました。
これらは密接に関わっていたことになりますが、結果的に川崎市内の複々線化は進まず、多摩急行も廃止されてしまい、別々の道を歩んでいる状況となっています。