駅の周辺に玉川学園の敷地が広がり、それが駅名にも反映されている小田急の玉川学園前駅。
開業時から駅名は変わっておらず、長年に渡って学校とともに歩んできた駅といえます。

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玉川学園前は、小田原線の開業から少し遅れて設置されましたが、どのような経緯で誕生したのでしょうか。

学校とともに歩む玉川学園前駅

東京都町田市内にある玉川学園前駅は、1929年4月1日に開業しました。
小田原線の開業は1927年のことで、2年遅れて駅が設置されたことになります。

駅名が示すとおり、玉川学園を中心に発展した地域となっており、住所も玉川学園となっていることが特徴です。
小田急は境塚トンネル付近から玉川学園の敷地内を通るため、トンネルの上や線路脇はキャンパス内ということになります。

学校内だけではなく、駅の周辺も比較的緑が多い印象で、学園都市らしい風景が広がっています。
一方で、鶴川方面とを結ぶ道路は駅から少々離れており、車でのアクセスには少々難があります。
急行以上の列車は停まらず、比較的静かな駅となっていますが、通学の時間帯には学生で混雑しており、学校の最寄駅らしい光景といえるでしょう。

玉川学園前駅の誕生

小田急の小田原線には、開業時から成城学園前という駅がありました。
開業前に成城学園が移転し、それが駅名となったものですが、その移転を指揮したのが小原國芳氏でした。

小田急の開業計画を知った小原國芳氏は、用地を確保して学校を移転し、交渉により駅名も成城学園前にすることを実現します。
さらに、周辺の土地を買収して宅地の分譲をすることで、校舎の建設費を確保することとなりました。

成城学園前駅を誘致することに成功した小原國芳氏は、その手法を応用して新たな学校を創設します。
それが玉川学園であり、成城学園の時と同様に周辺の土地を買収し、宅地の分譲による利益を学校の運営費に充てることとなりました。

開業から間もない小田急でしたが、駅舎や用地を玉川学園が提供することで、新駅を設置することが決まります。
こうして小田急で二つ目となる、名称が学校の駅が誕生したのです。

おわりに

最初から学校名が入る2駅は、小原國芳氏が誕生させたといえるのかもしれません。
駅名は今日まで一切変わることなく続き、100年を迎える日もかなり近付いてきました。