禅寺丸柿の原産地として有名で、神奈川県川崎市の麻生区内にある駅としては、唯一小田急の開業時から存在している柿生。
急行以上の列車は通過し、相対式のホームを備える見慣れたスタイルの駅ですが、かつては待避線を備えていました。
待避線の廃止から長い年月が経過し、その痕跡も年々なくなりつつありますが、まだ当時の風景を想像できるような場所も残っています。
当然新百合ヶ丘は存在せず、鶴川の上りにも待避線はなかったため、向ヶ丘遊園、柿生、町田に待避線が設けられていました。
柿生の待避線は上下線の両方にあり、廃止される直前の段階では、準急の停車に対応したホームの長さとなっており、8両までの列車が停車可能でした。
現在のホームとの位置関係を確認すると、小田原寄りが待避線のある頃からのもので、ポイントはカーブに設置されていました。
現在の秦野と状況は似ており、下りの待避線は逆カントの状態だったことになります。
1974年6月1日には新百合ヶ丘が開業しますが、柿生の待避線もそのままとされ、2駅連続する状態が生まれます。
しかし、ホームの延伸等を理由に待避線は廃止されることとなり、1977年11月20日をもって使用が停止されました。
同時に鶴川の上り線にのみ待避線が設けられ、翌日の11月21日より使用を開始しています。
一方で、注意深く見ると往時を偲ばせる場所もあり、駅の周囲を歩くと意外な発見があるかもしれません。
分かりやすいところでは、ホームから不自然に離れた位置にある柵の存在や、必要以上に幅がある架線柱が目立ちます。
上屋の形状もかつての島式ホームを今に伝えており、待避線側に向かって中央部から高くなっています。
土地についても待避線の名残があり、小田原寄りのポイントがあった位置は、今も鉄道用地として残っています。
周辺の建物等も待避線があったことを思わせる配置となっており、衛星写真で見るとよく分かります。
下り線側は歩行者用の通路となっており、以前は時間帯を限定して開放されている状態でしたが、現在は終日利用することができるようになりました。
駅の施設においては、跨線橋に待避線の名残があります。
上下線のホームに加えて、駅舎に繋がる階段が設けられており、線路があって直接ホームに入れなかった状態を今に伝えています。
注意深く見れば、今も痕跡が残っている場所はあるため、駅の周囲を歩いてみると面白いかもしれません。
急行以上の列車は通過し、相対式のホームを備える見慣れたスタイルの駅ですが、かつては待避線を備えていました。
待避線の廃止から長い年月が経過し、その痕跡も年々なくなりつつありますが、まだ当時の風景を想像できるような場所も残っています。
1977年まで使われた柿生駅の待避線
かつての小田原線には、読売ランド前から柿生まで駅がありませんでした。当然新百合ヶ丘は存在せず、鶴川の上りにも待避線はなかったため、向ヶ丘遊園、柿生、町田に待避線が設けられていました。
柿生の待避線は上下線の両方にあり、廃止される直前の段階では、準急の停車に対応したホームの長さとなっており、8両までの列車が停車可能でした。
現在のホームとの位置関係を確認すると、小田原寄りが待避線のある頃からのもので、ポイントはカーブに設置されていました。
現在の秦野と状況は似ており、下りの待避線は逆カントの状態だったことになります。
1974年6月1日には新百合ヶ丘が開業しますが、柿生の待避線もそのままとされ、2駅連続する状態が生まれます。
しかし、ホームの延伸等を理由に待避線は廃止されることとなり、1977年11月20日をもって使用が停止されました。
同時に鶴川の上り線にのみ待避線が設けられ、翌日の11月21日より使用を開始しています。
今も残る待避線の痕跡
廃止から40年以上が経過し、線路が敷かれていた位置に建築物がある場所もあるため、待避線の痕跡はかなり少なくなっています。一方で、注意深く見ると往時を偲ばせる場所もあり、駅の周囲を歩くと意外な発見があるかもしれません。
分かりやすいところでは、ホームから不自然に離れた位置にある柵の存在や、必要以上に幅がある架線柱が目立ちます。
上屋の形状もかつての島式ホームを今に伝えており、待避線側に向かって中央部から高くなっています。
土地についても待避線の名残があり、小田原寄りのポイントがあった位置は、今も鉄道用地として残っています。
周辺の建物等も待避線があったことを思わせる配置となっており、衛星写真で見るとよく分かります。
下り線側は歩行者用の通路となっており、以前は時間帯を限定して開放されている状態でしたが、現在は終日利用することができるようになりました。
駅の施設においては、跨線橋に待避線の名残があります。
上下線のホームに加えて、駅舎に繋がる階段が設けられており、線路があって直接ホームに入れなかった状態を今に伝えています。
おわりに
廃止から長い年月が経過し、待避線があったと思わせる場所は少なくなりました。注意深く見れば、今も痕跡が残っている場所はあるため、駅の周囲を歩いてみると面白いかもしれません。
コメント
コメント一覧 (9)
ユキノスケ
2023年05月18日 22:21
百合ヶ丘駅と柿生駅、周辺
ボロボロのアーケードなど、50年間変わらずそのままで、さびれた感じは
どうにか成らないのでしょうか?
>>
アレがいいんですよ\(^o^)/
自分だけ知っているようなとっておきの空間が。
かくいう私も1975年位から柿生駅利用者でした。確かに覚えがあります、上りの待避線に一両編成の荷物電車がそろそろと停車していたのを。
県道上麻生線からの小田急バスが柿生駅北口に連れて行かれて、かつ電車に乗るのにいちいち踏切を渡って改札に行かなければならなかった(^_^;)
改札には謎の50円両替機があった(・o・)
今は強引に作られた北口改札がありますが、待避線の跡地はバレバレです(^_^;)
百合ヶ丘駅周辺と言えば映画「喜劇 駅前団地」の舞台でしたね\(^o^)/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%8A%87_%E9%A7%85%E5%89%8D%E5%9B%A3%E5%9C%B0
ところで、かつて柿生の庵で暮らしていたとされる狐狸庵先生こと遠藤周作はどの辺にお住まいだったのでしょうか?(今年生誕100年でした)
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ボロボロのアーケードなど、50年間変わらずそのままで、さびれた感じは
どうにか成らないのでしょうか?
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駅上り方踏切のさらに先に、渡り線があって、荷電なんかが折り返していたようで、わずかにレールが光っていたものです。
かつては柿生行きの設定があったのは、読売ランド前(当時は西生田)まで、朝方通学列車を走らせようとしたところ、渡り線が無いので柿生行きになったそうです。
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昔利用していましたが、初めて知りました!
ワタシダ
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上りホーム側はスーパー相鉄ローゼンとの間が異常に広いのと、踏切際から改札までの駐輪場はその名残ですね。
下りホームは誰が見ても不自然な跨線橋が物語ってますね。
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同じく待避線跡が残る南林間は駐輪場や跨線橋と繋がるエレベーターの設置に活用されましたし、栗平も準備工事のまま花壇に活用されとります。今後の再開発で柿生がどのように変化するのかが気になるこの頃です。
ワタシダ
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記憶違いがなければ急行が10両運転されてからの廃止だったと思います。
ワタシダ
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