小田急で最多の勢力を誇る3000形の中に、12編成のみのグループが存在します。
搭載している機器等の面でも、小田急の中では異端車となっており、最近は使い方も限られるようになってきました。

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いつの時代にも、様々な事情で少数のグループが構成される小田急ですが、なぜか6両が12編成というケースが多く発生しています。

12編成が在籍する3000形の初期車

全346両が在籍する3000形ですが、大きく二つのグループに分かれています。
比較的両数が少ない初期の編成と、大量に増備された後期の編成の違いですが、前者は独自の機器構成となっているのに対し、後者は8000形等を含めた標準化が図られました。

3000形の初期車は、2001年から登場した1次車の4編成と、2003年から登場した2次車の8編成が該当し、総数は72両となっています。
割合としては20%ほどであり、3000形の中では異端車に位置付けられます。
1次車はドアの幅や内装が異なるといった違いもあり、初期車の中でもバリエーションがあるという点が、趣味的には面白い部分です。

昔は他の3000形と同じように、他形式と繋いだ10両での活躍が目立ちましたが、徐々に単独で使われるケースが多くなりました。
最近は専ら単独で走るようになっており、新宿には顔を出さなくなっています。

伝統的に続く12編成のまとまり

現状は3000形の12編成がまとまっていますが、過去にもなぜか12編成というまとまりが多く存在しました。
ただの偶然といえばそれまでですが、興味深いので振り返ってみたいと思います。

6両が12編成というまとまりは、2600形で生まれました。
既存の編成を組み替えて8両化を進めながらも、途中でその計画が中止されたため、結果的に6両が12編成だけ残ってしまったのです。
晩年は優等列車での活躍が目立ったものの、それ以前は支線の各駅停車を中心とした活躍をする等、やや目立たない存在となっていました。

2600形が引退の時期を迎える中、それらの12編成を置き換えたのが、3000形の初期車でもありました。
偶然にも2600形の置き換え分が揃った後に仕様変更が発生し、それが今に繋がっていることになります。

さて、近年にはもう一つのまとまりがありました。
支線を中心に6両単独で使われていた車両たちで、8000形の界磁チョッパ制御車が2編成、1000形の未更新車が4編成、それにワイドドア車を加えた6編成で、こちらも合計は12編成となっています。

おわりに

編成数は異なりますが、形式自体が少数派の2000形については、8両が9編成の在籍となっており、その総数は72両となります。
これらも含めて偶然以外の理由はありませんが、なぜか12編成や72両というかたまりが生まれるのはなぜなのでしょうか。